キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『移民たち』W.G.ゼーバルト

 ――彼らはこうやって還ってくるのだ、死者たちは。——W.G.ゼーバルト『移民たち』

死者の記憶

 低くささやくような声で、4人の移民たちの人生が語られる。ドクター・ヘンリー・セルウィン、パウル・ベライター、アンブロース・アーデルヴァルト、マックス・アウラッハ。彼らひとりずつにスポットをあてて、なぜ移民となったか、これまで何をしてきたかを解き明かしていく。

 移民たちは、みんなすでに死んでいる。まるで暗い穴の奥へと吸いこまれるようにするりと、彼らはこの世を去った。ある者は銃口で頭を吹き飛ばし、ある者は線路にその身を横たえて。

移民たち (ゼーバルト・コレクション)

移民たち (ゼーバルト・コレクション)


 けっして穏やかな死に方ではないにもかかわらず、この作品で描かれる死はひどく静かで、抽象的なもののように思える。死にまつわる「生々しさ」、死体や残された者の嘆き、葬式や骨といった現実的な要素が欠如しているからかもしれない。「彼は消えた、永遠に」。こんな一文で、死はさらりと、流れるように描かれる。


 不思議な小説だ。語らないものが多すぎる。第二次世界大戦ユダヤ人虐殺、人種差別、故郷を離れて暮らさざるをえない理由と嘆きは、言葉の向こうに注意深く押しこめられている。

 その存在に気づけるのは、随所に散りばめられた意味深な写真の群れのおかげだろう。文章の一部にぴたりとはまるように、それらしい写真が配置されている。だが、この写真がじつは曲者で、「日本人の知り合いのお宅」としてしれっと金閣寺の写真が出てきたりする。きっと、他の写真も、見る人が見たら「ここでそれを出してくるか」と言わずにおれないような、ちょっとずれたものなのだろう。


 「記憶」と「記録」について考える。4人の移民たちは、自殺であれ自然死であれ、薄暗い穴の向こうへと消えてしまった。だが、日記や新聞記事の記録をきっかけに、彼らはふたたびよみがえる。語り手は絶えず記録を参照し、記憶を掘り起こす。これは、自らおかした罪をドイツが簡単に過去のものにしてしまうことへの、ゼーバルトなりの静かな抗議なのだろうかと思った。

 調査とともにいつもながら遅々として進まない書きものにいそしみながら、いま自分が目の当たりにしているドイツ人の精神の貧困化と記憶喪失、万事をきれいさっぱり水に流してしまう手際の良さに、しだいに自分の頭と神経がさいなまれつつあることを、一日一日つよく感じるようになっていた。


 4人の物語のうち、もっとも好きだったのはドクター・ヘンリー・セルウィンの物語で、ラストの引き際と余韻がすばらしい。あと、写真好きとしては、マックス・アウラッハに出てくる「銀中毒によって現像されてしまった人間」のエピソードも印象的だった。現像所で銀を使ってばかりいたせいで体に銀がたまってしまい、強い光を浴びると顔と手が青くなるという。まさか、と思いつつありえるかも、と思ってしまう。私は現像液のさわりすぎで一時期、指紋認証がとおらないほど指紋がすり切れた。

 記憶はどこまで残り、どこまで行ったらすり切れるのか? ゼーバルトは答える。

「すべてを壊しても 記憶は残る」

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W・G・Sebald Die Ausgewanderten,1992.