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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『新ナポレオン奇譚』G.K.チェスタトン

 「ひげ剃りですか、旦那?」芸術家は店の中から尋ねた。
 「戦いです」とウェインは、戸口に立ったまま答えた。
 「何ですって?」と鋭く相手は言った。
 「戦いです」とウェインは、熱をこめて言った。

——G.K.チェスタトン『新ナポレオン奇譚』

狂った世界の肯定法

 イギリス紳士め、とチェスタトンを読むたびに思う。ユーモアを愛し、シニカルに世界を笑いながら、哲学や神学を大まじめに語る。デビュー作でもその態度は変わらない。チェスタトンはどこまでいってもチェスタトンであった。

 今から80年先のことを想像するとしよう。メーヴェをみんなが乗り回して、ドラえもんのマジカルな道具が実現しており、脳がWebにつながっているかもしれない……なんて私のお粗末な妄想は置いておくにしても、80年先の未来を普通は「進歩した未来」として想像する。しかし、1904年のチェスタトンは、80年後のロンドンを「中世に逆戻り」した世界として描いた。

新ナポレオン奇譚 (ちくま文庫)

新ナポレオン奇譚 (ちくま文庫)


 1984年、大都市ロンドンにはガス灯がともり、辻馬車が道を駆け抜け、役人は緑や黄色、紫のど派手な衣装を身につけてごてごてと歩いている。この噴飯ものの世界は、民主主義に飽きた(刺激的な設定であると同時に示唆的な設定でもある)市民がくじ引きで選んだ専制君主オーベロン・クウィンがこしらえた。誰もが苦笑いするばかばかしい中世ごっこに、皆が適当につきあっていたのだけれど、王の命令を「至言」としてくそまじめに受け取る“狂人”アダム・ウェインによってロンドンは内戦状態に突入する。


 さて、この世は生きるに値するか? “狂った王様”オーベロンの心には、根深いペシミズムが巣くっていた。この世という徒労、地獄を少しでも楽しく笑い飛ばせればという願いから、破滅すら愛して王は冗談を仕掛けた。くだらなさを笑って肯定し、世界と和解する方法を選んだのだ。

 「世界が6日間で創造され、つづく6日間でふたたびこなごなにぶち壊されていたらよかったのに」

 「ねえ君たち、ユーモアこそは人類に残っている唯一の聖域なんだよ。君たちが恐れている唯一のものなのさ」

 一方、アダム・ウェインはユーモアなど必要としなくても生きていける人種だった。自分の町を愛する誇りを正面にかかげて「応」という。これもまた世界の肯定方法のひとつである。

 私の歓喜、それは恋する男にとってひとるの女がすべてとなるときの喜びだ。未開人にとってひとつの偶像がすべてとなるときの喜びである。ノッティング・ヒルがすべてであるとき、私はこの喜びを知るのだ。私には市がある。たとえそれが栄えようと、倒れようと。


 たった2人だけの狂気があれば、大都市は実にあっけなく狂う。結果として、ロンドンでは内戦が勃発して、ものすごく原始的な戦争(なんせ槍を使う。20世紀なのに)で人が死に、血が流れるという実にばかばかしいことになるわけだが、たぶんこれに似たようなことって世界中で起きているのだよね。

 2人はそれぞれまったく違った方法で、狂った世界を肯定した。彼ら自身もおそらく狂っていたのだけれど、両者とも世界をぶち壊そうとはしなかった。狂った話でもあり、至極まじめな話でもある。


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Gilbert Keith Chesterton The Napoleon of Notting Hill,1904.