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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『アラン島』J.M.シング

アイルランド文学 旅行記 ☆☆☆☆☆

 石積みのてっぺんから見渡すとほとんどすべての方角に海原が見え、北と南には海の彼方に連なる山並みが見える。見下ろせば東の方に集落があり、家々のまわりで立ち働いている赤い人影が見える。ときどき、会話や島の古い歌のきれはしが風に吹きあげられて、ここまで聞こえてくることもある。——J.M.シング『アラン島』

ゲールのざわめき

 アラン諸島は、アイルランド島の西に浮かぶ群島だ。アランモア、イニシュマーン、イニシーア。島々には古い城塞跡があり、船と畑と石積みがあり、フィドルを弾けば男も女も踊り出す。パブではゲール語がざわめき、おじい共は暖炉の前で妖精話を語ってくれる。荒れる海、石だらけの大地、一面灰色の世界に、ときどき女の真っ赤なスカートがひるがえる。

アラン島 (大人の本棚)

アラン島 (大人の本棚)

 目がさめるほどにアイルランドである。パリで遊蕩生活を送っていたシング青年は、後に詩人として名を馳せるイェイツのすすめにしたがってアラン島を訪れる。シングはすっかりアラン島に惚れこみ、年に1回は島で生活をするようになる。『アラン島』は、シングが訪れた20世紀初頭の島模様を、4回にわたって記録したものだ。
 シングの文章は淡々として素朴な感じ。あまり言葉にはしないけれど、島への愛着が行間からにじみ出ているのが好ましい。


 本書を読んでいると、都会育ちの文学青年が、ヨーロッパの最果てとも言える土地に強く引き付けられる理由がなんとなく分かる気がする。同じヨーロッパといえど、ゲール語で歌われる世界は大陸のものとは根っこから異なっている。島は魔法に満ちている。奇跡も妖精も当たり前のように存在する。島の人は、自然現象と超自然現象を区別しない。

 法という新しい概念が流布していない場所では奇跡はざらに起こるのだということが、島人たちとつきあってみてよくわかった。これらの島々だけでも、神意を確かなものとする奇跡は毎年ふんだんに起きている。
 ……僕がダブリンから新聞が届いたんだけど、と言うと、しばしば彼らはこんな風に尋ねる――
 「それで、このごろ、世界ではなにか大いなる不思議が起こっておりますか」、と。

 不思議なことは、息を吸うように「起こりえる」。このゆるやかな、世界への容認がすてきだ。「人間が説明できないことなんて世にはいくらでもある」と考えることを、20世紀の西欧は「未開」と呼んだが、島人は「人間には限界がある」ことを知っている。だから、西欧に未開のレッテルを貼られた人々は、しばしば西欧の無知と不幸に驚くのかもしれない。

「都会に孤独な人がいるなんて信じられない」
「そうか、お兄さんもやがて地獄に落ちるんだよね」


 話の途中途中で、唐突におじいの昔語りや妖精話が始まるのがよい。
 「これがわたしの話」「これ、本当の話でな」「海にはいろいろな不思議がござる、ってね」……暖炉の前で、密造蒸留酒のグラスを傾けながら、ずっとおじいの話を聞いていたい。


Recommend

イェイツ『ケルトの薄明』……シングへアラン島行きをすすめた詩人。
トーベ・ヤンソン『島暮らしの記録』……フィンランドの孤島に暮らした記録。


 あけましておめでとうございます。今年こそは旅に出ようという思ってこの本から始めてみました。今年もよろしくお願いします。



John Millington Synge The Aran Islands,1907.