ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『ウェイクフィールド』ナサニエル・ホーソーン|宇宙の遭難者

 こうしてウェイクフィールドは、生きている世界から姿を消し、死者の仲間にも入れてもらえぬ境遇となった。


 常ならざる者の存在はいつだって、記録と記憶に強烈な爪痕を残していくものだ。例えば、メルヴィルが生み出した奇妙奇天烈な男『バートルビー』。そしてこの男、ウェイクフィールド。

 ホーソーンはすばらしい短編小説をいくつも書いている。百年以上たったいまも読まれているんだ。そのうちのひとつに、ウェイクフィールドという名の男が、妻にちょっとしたいたずらを仕掛ける話がある。仕事で、二、三日旅行に出かけてくる、とその男は妻に言うんだが、実はどこへも行かずに、四つ角を曲がったところに部屋を借りて、ただ成行きを見守っているのさ。
 ……何日かが何週間かに代わり、何週間かは何か月かに代わる。さらに何年かが過ぎ、かれこれ二十年以上の時が経つ。――ポール・オースター『幽霊たち』

 オースターが著書『幽霊たち』で、この奇妙な男の物語を紹介しているのを知って以来、本書を読んでみたいと思っていた。ボルヘスが「ホーソーンの短編のうちの最高傑作であり、およそ文学における最高傑作のひとつと言っても過言ではない」と激賞しているのを知って期待はいやおうなしに高まった。往々にしてこういう期待は裏切られるものだが、本書においてはまったくの杞憂だったといってよい。



 シンプルな話である。ウェイクフィールドという男が、失踪したふりをして、家から目と鼻ほどのある部屋に潜伏する。やがて時は過ぎ、葬式が済み、寡婦となった妻が日々生活しているのを、ウェイクフィールドはただ眺めている。20年間もそんな生活を続けたウェイクフィールドがついに動くことで、この短い物語は幕を閉じる。
 たった十数ページの物語だが、読んでいるうちに、まるで底なしの谷間をのぞきこむような奇妙な感覚を覚えた。ホーソーンは、ウェイクフィールドの狂気じみた行動の仔細を書き込んでいくが、心境についてはなにひとつ語らない。なぜ行方をくらましたのか、そのきっかけはあったのか、家の近くを選んだのはなぜか、自分の葬式を眺めるのはどんな気分か、20年も孤独な生活を続けたのはなぜか、どうして最後にああいう行動をしたのか……圧倒的な不可解さで、この異常な物語は構築されている。


 なにも書かれていないから、わからない。わからないから、考える。「自分がいなくなった後も平然としている世界」を見て、彼は何を思ったのだろうかと。
 人間にとって「自分」は唯一の存在、世界の中心だ。自分が死ねば自分にとっての世界は終わる。しかし、自分が消えても世界は終わらない。かつて自分がいた場所には他の誰かがすべりこみ、なに食わぬ顔をして世界は回り続ける。「私」は世界にとっては代替可能な任意の一点であり、その存在は耐えられないほどに軽い。多くの人は、この不愉快な事実から目をそらして生き続ける。
 だが、ウェイクフィールドは違った。おそらく彼は、「自分の存在価値」をその目で確かめようとしたのではないだろうか。自分の消失が世界にどれほど影響を与えるのか、どれほどの人が自分の消失を悲しみ、覚えていられるのか。自分の死後、世界はどう変わり、どう変わらないのか。

 人を思う心は彼なりに無傷のままで持ちつづけ、いまだに人の世のことがらに関心を絶やさずにいるのに、彼のほうからそれらのことがらに波紋を起こす力は失っている、これが前代未聞の運命だ。

 それは途方もない、恐ろしい試みだ。ふたを開けなければ知らずに済むのに、そしておそらく知らずにいた方が幸せに過ごせるのに、ウェイクフィールドはふたをこじ開けた。


 オースターは「ニューヨーク三部作」で、都市における個人の代替可能性について書いた。だから、ウェイクフィールドの逸話が『幽霊たち』に登場することは、ひどく似つかわしいように思える。住み慣れた町で遭難し、個人として持つものすべてを捨て、「宇宙の遭難者」となったウェイクフィールド。彼は肉体を保持しながら死者のレッテルを貼られ、都市の中の幽霊となった。

 日常は“普通の日々”を維持しようとするから日常たりうる。しかし、住み慣れた路地裏は異空間へもつながっている。住み慣れた町で遭難し、生きながらにして死者の仲間入りを果たすことだってあるのだ。

 人間の感情に裂け目を作るのは危険なことだ。裂け目が広く長く、ぱっくり口を開いてしまうからではなく、その口があっというまに元どおり閉じてしまうからだ。

ホーソーンの著作レビュー

『緋文字』
国書刊行会「バベルの図書館」シリーズ

Nathaniel Hawthorne Wakefield,1835.

recommend

エドゥアルド・ベルティ『ウェイクフィールドの妻』…残された者の視点から。
メルヴィル『代書人バートルビー』…「せずにすめば」とすべてを否定した不可解な男。
ポール・オースター『幽霊たち』…町の中にかき消えた男。
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』…吹き抜ける時間と、風化する記憶。

おまけ:「バベルの図書館」シリーズの場合

 バベルの図書館シリーズでは、「ウェイクフィールド」は『人面の大岩』という短編集に収められている。どれもおもしろいが、やはりウェイクフィールドが別格。

人面の大岩
 人面の大岩がある小さな村には、「大岩と同じ顔をした人間がいつかやってくる」という伝説がある。いつも大岩を眺めながら実直な生活を営んできた男は、伝説を信じて「大岩の賢人」が来るのを待ち続ける。ホラー系の話かと思いきや、『木を植えた男』のような、素朴で実直な賢人の物語だった。
地球の大燔祭
 大きな大きな焚火で、過去の古い遺物、慣習、悪しき影響を与えるものをすべて燃やしてしまおうと人々は考える。財宝、王冠、ギロチン、衣服、書物、すべてがごうごうと炎上する。真っ暗な地球の中でただひとつ、真っ赤に燃える炎を想像した。おもしろいんだが、妙にキリスト教色が強い。本消失系なら『華氏451度』『あまりにも騒がしい孤独』の方が好き。
ヒギンボタム氏の災難
 ある行商人が、「金持ちのヒギンボタム氏が殺された」という噂を耳にする。町でその噂の真偽を確かめると「そんなわけあるか! ヒギンボタム氏はちゃんと生きている」と反論される。デマと証言が錯綜して、やがて行商人はある意外な事実にたどりつく。ポーの推理小説のようなおもしろさ。『予告された殺人の記録』が好きな人はけっこう好きかもしない。