キリキリソテーにうってつけの日

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『冬物語』ウィリアム・シェイクスピア

[その名を時という]
William Sharekspeare The Winter's Tale,1611?

 ある人々に楽しみを与え、すべての人々に試練を課し、善人の喜びともなれば、悪人の恐怖ともなる私、間違いを起こしたり解きほぐしたりする「時」と名乗って翼を使わせていただきます。


 最近めっきり冷えこむので、洋風おでんをつまみながら『冬物語』。なんて安易な。

 四大悲劇を書きあげた後シェイクスピアは、ロマンス劇と呼ばれる悲喜劇を残した。本書もまたそのひとつ。
 シチリア王リオンティーズは、幼いころからの親友であるボヘミア王ポリクシニーズが、自分の妻ハーマイオニーと浮気しているという妄想にとりつかれる。これは、妻の浮気を疑って破滅した『オセロー』と同じ展開だが、シチリア王は「浮気現場をこの目で見、この手で触れた」と断言する。
 もちろん、それは真実ではない。ただ、誤解でもない。シチリア王は、ただ妻とボヘミア王が親しげに話をしているのを見ただけで、「やつらはキスをした」「脚と脚を触れ合わせた」ことを本気で目撃したと思いこむ。オセローの耳に疑惑の猛毒をそそいだイアーゴーのような役は、本劇では登場しない。
 この猛烈な思いこみぶりはなかなか異常で、唐突な印象を受ける。冒頭、シチリア王がボヘミア王をこれでもかというぐらい歓待するからなおのこと。思うに、シチリア王の心にはボヘミア王に対する嫉妬心がくすぶっていて、小さなきっかけで一気に爆発したのではないか。だから、「妻子が死んだ」と聞かされた瞬間、あれほど狂気にひたっていた王が「私が間違っていました」と改心するのを見てもうさんくさい。それはただ単に、嫉妬にふたをしただけではないか? 男は男へ嫉妬する。女の存在は、必然ではない。


 これが悲劇だったなら、話はここでおしまいになって、シチリア王は破滅する。だけど、これはロマンスだ。『冬物語』には四大悲劇には登場しなかった良心、ポーリーナがいる。彼女は貴族の妻で、王妃の無実を信じて彼女をかくまい、王に「あんたは馬鹿だ」と堂々とのたまうすごい女性だ。彼女のはたらきのおかげで、16年後に悲劇はハッピーエンドをむかえる。
 ロマンス劇は、もし悲劇の舞台に良心を持つ人があったら……という「別の道」の提示なのかもしれない。同じ環境、同じ要因、同じ悲劇的要素でも、そこに配置される人によって歴史は変わる。この勝気でおせっかいな女性ポーリーナが、悲劇とロマンスのの転換スイッチをにぎっている。


 「止まっていた時が動き出す」、その瞬間を劇的に描いた作品なのだろうかと思った。「時」がひとつの人格としてセリフを話し出すシーンには驚いたが、この扱いがこの劇での「時」の重要性を示しているような気がする。人は、誤解や傷を修復するまでに、長い長い時間を必要とする。時は残酷で、そして慈悲深い。
 彫像が命を吹き返して動きだした瞬間、凍っていた時はついに動き出す。凍り死んでいた長い冬が終わりを告げ、やがて春が来るような、再生を思わせる作品だった。


シェイクスピア全集


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