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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『コスモス』ヴィルド・ゴンブロヴィッチ

東欧文学 ☆☆☆☆

[ベンベルグ]
Witold Gombrowicz Kosmos,1965.

コスモス―他 (東欧の文学)

コスモス―他 (東欧の文学)

 「わしにいわせれば、あんたの考えているのは、わしのテーブル掛けの上でのあそびのことかな、家内の目のまえでの? スキャンダルにならんようにわざとやっとる、あのことかね? ただし、うちのやつは知らん……」
 「何をですか?」
 「ベルグのことを。わしのベンベルグの全ベンベルグをこめてわしがわしのベンベルグベンベルグしていることを!」

 

 ポーランドが生みだした“永遠の青二才”ゴンブロヴィッチが描く、どこまでもカオス、変態、カオスな世界。いったいどこが「コスモス」なんだ。冗談はベンベルグだけにしてくれ。


 舞台はポーランド。物語は「首をくくられて吊られたスズメの死体」から始まる。主人公とその友人フネスという2人の若者が、偶然見つけた1つの家に下宿を決める。その下宿の庭には、首をくくられて枝に吊られたスズメの死体があった。いきなり不穏である。主人公たちは「まるで事件の“徴”のようではないか」と妄想をふくらませる。
 まったく、ミステリの王道のような導入。しかし、それはあくまで最初だけだ。彼らの望みを知ってか知らずか、予兆はどんどん増え続ける。天上に刻まれた謎の矢印、枝に吊られた木片、ペンが突き刺してあるレモン……。事件の予感はふくらむ。だが、予感はどこまでも予感のままだ。


 一種のアンチ・ミステリなのだと思う。いわゆる王道ミステリでは、世界は秩序だっている。探偵がいて、彼の前にヒントが明示され、たまにブラフがあるもののきちんとした正しい答えに向かって物語と世界が構築されている。だが、『コスモス』はまっこう反対をいく。探偵役である主人公は妄想癖の変態で、というか誰もかれもが変態で、事件の予兆は「秩序なんて知ったことか」といわんばかりに適当に登場し、ちっともまとまらない。

 事件の「予感」あるいは「ヒント」らしきものが、どんどん日常を侵食していく様子は、トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』を彷彿とさせる。だが、残念なことに、ゴンブロはピンチョンよりずっと変態だった。
 主人公は女の唇に固執し、「首吊りと唇には符号性がある……」など、事件と結びつきそうで結びつかない妄想をだだ漏れさせる。唇への固執はおそらく若者らしい性欲から来ているのだろうが、ここらへんはうまく隠されている(この隠しっぷりがいかにも青くさい)。ただ、同居中のうら若いレナ夫人と旦那のラブシーンにはさすがに興奮したらしく、木の上からのぞいた挙句、激情が冷めやらぬままに夫人の愛猫をくびり殺して枝に吊るしてしまう。

 なぜ、主人公は猫を殺したのか? それは、やかんのせいである。何を言っているか分からないと思うが、事実そうなのだからしょうがない。果てには、まじめそうな家の老主人が実はベルグをベルグム・ベルグ・ベルグムまで許し、ルルシア夫婦はルルしているらしいのだから、まったく始末に負えない。


 世界は論理立って構築などされていない。世界を体系づけようとする人間の試みは常に存在するけれど、いつだって世界は人の手にあまる。「cosmos=秩序、世界、宇宙」ととらえた西洋の世界観に、正面切ってあっかんべーする作品なのだろうか、これは。

 ともかく狂っていた。ベルグ!


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