キリキリソテーにうってつけの日

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『アントニーとクレオパトラ』ウィリアム・シェイクスピア

[折れ剣の英雄]
William Sharekspeare Antony and Cleopatra,1606-07.

アントニー:おまえは知っていたはずだ、おまえがどこまでおれを征服したかということを、またおれの剣が愛ゆえにもろくなり、なにごとであれ愛の言いなりになることを。


 剣を捨てた英雄は、女のやわらかな手を取った。落ちぶれた英雄と哀れな女王が死に至るまで。
 シェイクスピアが描く、熟年カップルのロマンス劇。『ロミオとジュリエット『から騒ぎ』『十二夜』など、シェイクスピアの恋愛劇といえば若者が多く登場する印象だが、アントニーとクレオパトラはそれぞれ結婚しているため、他の劇とは少し印象が異なっている(もっとも、熟年と言えるほど年は取っていないのだが)。


 かつて勇猛果敢な英雄として名を馳せたアントニーは、エジプトの女王にして絶世の美女、クレオパトラに出会ってから、すっかり骨抜きになってしまう。彼らはお互いのことしか見えておらず、2人だけの蜜月を楽しむ。
 若者の恋ならそれでもいいだろう。だが、彼らはすでに社会的な地位を得ていて、一挙一動に影響力を持っていた。ローマの執政官であったアントニーは政治を顧みず、クレオパトラは権力を使ってアントニーをエジプトに留まらせた。当然このことを快く思わない人間はたくさんいるわけで、ローマ執政官のオクテイヴィアス・シーザーとレピダスは、ついにアントニーをローマに呼び戻して、別の妻を与えようとする。
 若者だったら「そんなのはごめんだ!」といってしゃにむに飛び出していきそうなものだが、政治的な事情を汲み取る大人なアントニーは、妻を娶ることを選択する。とはいえ、愛しいエジプトの女王を忘れられるはずもなく……。


 クレオパトラは純情さもすごいが、アントニーのデレっぷりもすごい。『ロミオとジュリエット』に比べると、恋の盲目ぶりやみずみずしさは比べるまでもないが、人生経験を積んだ男女ならではの関係はそれなりに興味深い。アントニーとクレオパトラ、両者は恋の激情と政治的な冷静さを併せ持っている。そのためか、感情表現にかなり起伏があって、劇全体としては途切れがちな印象を与える。特にアントニーは、クレオパトラを猛烈に賛美したかと思えば「売女」と罵り、はたまた土下座する勢いでひれ伏したりと、いろいろ忙しい(更年期障害?)。


 賛否両論の英雄と言えば、『コリオレーナス』を思い出す。コリオレーナスは、愛に生きて剣を捨てたアントニーとは正反対で、愛なき剣を振るい続けた。どちらも確かにかつては英雄だった。だが、結局は賛否両論の末「これでは英雄にならぬ」と死に追いやられる。
 ならば、「英雄」という存在は何なのか? 人の賞賛に値する美点を持つ人、褒め称えやすい人、欠点が見えない人、皆が望む時に望む動きをする人。またの名を幻覚、神殿に祭り上げられる飾りもの。皆が望んだように行動しない英雄はもはや英雄ではなく、なまじ力を持つがゆえに葬り去られる運命にある。なんと哀れな存在。
 個人的には、割り切れない英雄としては、『コリオレーナス』の方が好きだった。


シェイクスピア全集


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