ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『ぼくには数字が風景に見える』ダニエル・タメット

[世界は数字]
Daniel Tammet Born on a Blue Day,2006.

ぼくには数字が風景に見える

ぼくには数字が風景に見える


 理系分野のエッセイやノンフィクションを読むのが好きだ。私はどちらかと言えば文系で、理系の学問は門外漢だ。分からない、だからこそ手が伸びるのだろう。海外文学を読むのは、そこに私の知らない世界があるからだ。それと同じで、私にとって数学や物理学や生物学の視点は未知の世界をのぞく窓である。

 おそらく、海外文学を読む人は「共感」よりも「発見」を、「同一性」よりも「多様性」を喜ぶタイプなのだと思う。最近刊行した『短篇コレクションI』の帯で、池澤夏樹は「ぼくは世界が多様であることを証明したかった」と書いている。さもありなん、世界とずれこんでいる、なじめないと感じている人は多様性を求める。多様であれば、自分の生きる隙間を見つけられるから。


 著者ダニエルは、生まれつき徹底的に世界からずれこんだ人だ。アスペルガー症候群でサヴァン症候群、驚異的な記憶力を持っている。円周率を2万桁以上暗記し、10カ国語に精通している。
 彼が最も能力を発揮するのは数学だ。彼には数字が色と形を伴って見えるらしい(「共感覚」という)。この世界観は驚くべきものだ。「1は輝いていて、11は人なつこく、4は内気で静か」であり、「5は雷鳴のように、そして89は舞い落ちる雪に見える」という。
 彼はどんな数でも暗算でこなすが、その計算方法も常人とはまったく違っている。37の5乗といった累乗計算は、小さな円がたくさん集まって大きな円になり、それが上から時計回りに落ちてくるよう。割り算では、数字が回りながら次第に大きな輪になって落ちていく螺旋が見えるらしい。もう、さっぱり分からない。同じ世界に生きていながらここまで見えているものが違うと、つくづく世界は揺らいでいると思う。


 数字の感覚はさっぱり分からないのだが、彼が感じる「ずれこみ感」は何となく分かる。私自身、じっとできず、社会ルールや他人という概念がさっぱり分からず、ある分野に極端に没頭するという幼少期を過ごした。おそらく発達障害の一種だったのだろうが、もっとも症状が顕著に出ていた時は病院に行かなかった。ただ、コールドスリープから目覚めるような瞬間があったことはおぼえている。気がついたら、周りの子が身につけていたルールが分からず、まるで異国の文化に溶け込もうとするように、必死になって周囲を観察してまねをした。日本生まれの日本育ちだが、私にとって日本は今でも故郷というより、なじみの深い外国である。

 軽度の私でもずれていたのだから、ダニエルの孤独ぶりは一体どれほどだろう。幼少期にまつわる彼の記憶はこんな感じだ。

 ぼくはいつも消え去りたいと思っていた。どこにいても自分がそこにはそぐわないと思っていた。まるで間違った世界に生まれてきてしまったような感じだった。安心していられない、穏やかな気持ちでいられないという感覚、どこか遠く離れたところにいつもいるという感覚が、絶えず重くぼくにのしかかっていた。

 アスペルガー症候群の人たちは友だちをつくりたいと心から思っているが、それがとても難しいとわかている。ひとりぼっちだというひりひりする感覚を心の奥で感じていて、それがぼくにはとても辛かった。

 しかし彼は、自分は幸福だと言う。両親がダニエルを疎まず、厳しくすべきところは厳しくしながらも、彼を病院送りにしたり矯正しようとしたりしなかったからだ。さらに、友だちと恋人など、理解を示してくれる人がいた。これは恐ろしく幸運なことだと思う。発達障害を持つ人の多くは、周囲の理解を得られず、自身の存在に承諾を得られない、または自分で与えられないことに苦悩する。私も幸運な人間の1人だが、運が悪かったらまったく違う人生になっていただろう。

 まったく分からない世界と、少しだけ分かる世界が一緒くたになっている、不思議な読書体験だった。一度でいいから、ダニエルの目線から世界をのぞいてみたい。


reccomend:
「レインマン」…サヴァン症候群の映画。
オリヴァー・サックス『妻を帽子と間違えた男』…脳神経が正常に働らかなくなった人々のエッセイ。