キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『一つ半の生命』ソニー・ラブ・タンシ

[地獄だ! 地獄だ!]
Aony Labou Tnasi La Vie et Damie,1979.

一つ半の生命

一つ半の生命

 ……<地獄>の文字が彼の額に輝く。
 「いとしい兄弟よ、いとしい姉妹よ。私は諸君を私から救うために死ぬことにした。この中(彼は自分の胸を叩いた)、そのとおり、この中はもはや完璧に人間的でなくなったことを私は認める。ここもだ(彼は自分の頭を示した)、そのとおり、ここも人間的ではなくなった。そこで、わたしは諸君を私から救うために死ぬことに決めた。私を愛さねばならぬ。私を祝わねばならぬ。私の名を宝として残さねばならぬ」


 人が死ぬ、息を吸うように人が死ぬ。
 人々は、何の理由もなしに銃撃の雨を受ける。粛清の穴に生き埋めにされる。反逆者のパテや古本が食卓に並ぶ。青い木々、青い家、青いネズミだらけの町で、「神聖な青」を身にまとった<指導者>を、青く塗りたくった人間たちが取り囲んでいる。路地には、タールと化した“かつて人間だったもの”が溶け出している。蠅とうじ虫がわきかえり、やがて人の姿を見かけなくなった。ようこそ、この世の地獄へ。帰り道はありません。


 アフリカは、とんでもない物語を生みだしてしまった。架空の国カタマラナジーで起こる、身も凍る独裁とアフリカン・マジックの場外乱闘戦。言葉の硫酸、完全に劇薬指定ものである。こんなものを書いてしまって、筆者はちゃんとコンゴで生きていられたのかどうか、心配になった。


 <摂理の指導者>を初めとする歴代の独裁者たちと、殺されても死なない<反逆者>マルシアル一族の壮絶な戦いが軸となる。マルシアルは1ページ目から殺され始めるが、7ページ目に来てもまだ殺されている。首だけになっても「私はこんな死に方をしたくない」と訴えるマルシアル。呪術信仰が強いアフリカン・マジック的な描写かと思うが、ミンチのされ方が異常にリアルなので、「グロテスク・マジック・リアリズム」とも言うべき、ぶっとんだ世界を生み出している(白蟻の巣に例えられた時はもう、ね……)。
 マルシアルは最初の10ページで死に(でもずっと幽霊で出てくる)、娘シャイダナが復讐を引き継ぐ。シャイダナは色仕掛けで政府の高官を何百人も墓送りにする。お父さんはさぞかし怒るだろうなあと思って読んでいたら、やっぱり怒って娘を孕ませた。なんてことだ!


 恐ろしいのは、ここで描かれる「ファンタジーじみた狂気」がどこまで現実に即しているのか、その境がさっぱり分からないところにある。狂った独裁者の影には、天然資源を狙う外国勢が見え隠れしていて、資金提供や軍事介入を行っている。民族同化の名のもとに、ピグミーを支配して奪い尽くす。ぶっ飛んだ描写の中に、現実にある問題が見え隠れするのだ。恐ろしい。

 破綻した国は、どろどろに溶けるまで腐敗がとまらない。そして、きわめつけのぶっ飛び発明「ハエ兵器」。この話はここにきてまだ狂えるのかと、感嘆すら覚える。
 いまのアフリカにも、ニュースにならないけれど、どろどろになっている国はたくさんある。だからだろうか、「地獄だ! 地獄だ!」というマルシアルの絶叫が、奇妙に耳に残る。
 それにしてもアフリカ文学って、「嘘だろ」と思うものにしか出会ったことがないのだが、本当のところはどうなのか。クッツェーは比較的分かりやすい方だが、南アフリカだからなあ……。


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