読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『石の原野』トーベ・ヤンソン

[荒野に言葉を打ち捨てて]
Tove Jansson Stenakern,1984.

石の原野 (トーベ・ヤンソン・コレクション)

石の原野 (トーベ・ヤンソン・コレクション)

 「きみはもうすこし前に爆発してほしかったよ。いや、すごかったな。今度ばかりは、えらくはっきり言ってくれたもんだ」


 職業病というものがある。もの書き業、編集業はとかく言葉へ固執する。私は自分でもどうかと思うぐらい適当な性格だが、言葉の使い方には気を使う(それぐらいしかできないからこの仕事に就いたのかもしれない)。メールやTwitterはほぼ無意識に表記統一を行うし、チラシなどの表記揺れや誤字脱字、誤用などがやたら気にかかる。


 「石の原野」の主人公ヨナスもまた、「言葉への固執」という病を抱えた人間だ。彼は記者として長年勤めてきた新聞社を辞めて娘たちとともにバカンスに出て、「Y」という新聞王の伝記を書こうとする。
 ヨナスはとにかく偏屈で、およそ好感が持てない。妻や子供とろくに話さずに生きてきた典型的な仕事人間で、すぐに怒って八つ当たりをする。人の言葉使いには口やかましいくせに、自分が言葉にしきれないと「エトセトラ、エトセトラ」とごまかしている。
 Yの伝記は進まず、世話をしてくれる娘たちとのますます距離は遠く、伝えたいことは誰にも伝わらない。激しいストレスの中、男は鬱々と荒野をさまよい歩く……。


 トーベは、偏屈な人間を描くのが本当にうまい。だが、偏屈者の落伍話で終わらせないところが彼女らしい。トーベはいつも、突き放した後に荒削りな優しさを残す。
 語るべき言葉を持たないけれど、男は不器用ながらに娘へ手紙を書いた。この手紙の内容がすばらしい。余計な言葉を全部<石の原野>に打ちやってしまったら、残るのはこんなシンプルな一言なのかもしれない。
 
  トーベ・ヤンソンは本書を執筆する際、「35の言葉で書くところを5つで済ませるべく」文体を切りつめたという。もの書きの端くれとして、いろいろ考えることが多かった。人にはときに言葉が必要で、あるときは過剰にすぎる。ただの空白、それだけで十分な時だってある。


トーベ・ヤンソンの作品レビュー:
『軽い手荷物の旅』
『トーベ・ヤンソン短篇集』
『少女ソフィアの夏』
『フェアプレイ』
トーベ・ヤンソンコレクション


recommend:
ベルンハルト『ヴィトゲンシュタインの甥』…偏屈じいさんがウィーンで優雅に暴れる。
アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』…毒舌ジャーナリストによるアイロニー。