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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『消去』トーマス・ベルンハルト

ドイツ文学 ☆☆☆☆☆

[消してしまいたい、こんな思いは]
Thomas Bernhard Ausloschung、1986.

消去 上

消去 上


消去 下

消去 下

 私の頭に最終的に残っている唯一のものは、と私はガンベッティに言った、「消去」というタイトルだ。というのも私の報告は、そこに描写されたものを消去するために書かれるからだ。私がヴォルフスエックという名で理解しているすべて、ヴォルフスエックであるすべて、ガンベッティ君、私の言っていることが分かるかね、本当にそして実際にすべてを消去するために書くのだ。この報告の後には、ヴォルフスエックであるものすべてが消去されていなければならない。私の報告は消去以外の何ものでもないのだ、と私はガンベッティに言った。


 少しの過ちも許せない潔癖な男が、呪いの言葉を吐きながら、静かに自分を消していく瞬間を見た。


 「私はあなたたち一族が嫌でしかたがない。私が不幸になったのは全部あなたたちのせいよ」と、従姉は私に言った。彼女は世界を呪いながら生きている。十数年前には仕事をしていたが、とうにやめた。「お金を稼ぐなんて汚らわしい」と、彼女は私に言った。何もかもが汚い世の中に迎合する人間は、心の中が毒されているのだという。「あなたたちが私を傷つけるのよ」と、彼女は私に言った。

 彼女の母親(私の大叔母)は、圧倒的な力で家族の者を支配する「女帝」のような人物だ。気に入らないものはとことん排除し、「わたしたち一族にふさわしくないふるまいをする」者を迫害する。何か気にいらないことがあれば、すぐに「あなたのせいでしょう」と圧力をかけてくる。

 「あの掛け軸をどこにやったの!」と、女帝は私に言った。掛け軸など、まったく身に覚えがない。しかし、彼女は「あなたのかばん! あんな大きさのかばん、なぜ買ったの! 掛け軸を質屋に持っていくために決まっているわ! さあ、どこの質屋に持っていったのか言いなさい!」と問い詰めてくる。論理的に説明しようとすればするほど、女帝は理不尽な妄想にとりつかれ、聞く耳を持たなくなっていく。「掛け軸! 掛け軸!」 彼女の声が頭蓋骨を揺さぶってくる。

 彼女たちと付き合ううちに、私はひとつのことを学ぶようになった。「世界は不条理である。言葉でいえば通じると思っているうちは甘い」。事実や論理など存在しない。ここには、不条理と妄執が渦巻いている。


 上記の物語は私の物語であり、かつ『消去』に書かれている物語である。エピソードがあまりにうちの一族と酷似しているため、読んでいる最中に何度も頭を抱えるはめになった。母と妹に見せたところ、「何これ、うちの親族の話?」という反応が返ってきた。「うちの一族ってグローバルスタンダードだったのね」。それはぜんぜん違うと思うよ、母上。


 『消去』の主人公ムーラウは、祖国オーストリアと一族が大嫌いでイタリアに逃れた、学者崩れの男だ。物語は、両親と兄が交通事故で死んだ、という電報を受け取る場面から始まる。

 彼は、死んだ家族のことを思い出す。脳裏をよぎるのは悲しみや情愛ではなく、軽蔑と嫌悪である。彼の悪口はもはや芸術的で、一行も改行せずにとにかく家族や田舎、オーストリア、カトリック、ナチス、ドイツ語など、自分をとりまくありとあらゆるものを罵倒しまくる。彼が愛するのはイタリアと数人の友人だけ。特に教え子ガンベッティへの愛はすさまじく、恨みつらみをガンベッティに向けて延々と語りまくる。「仮にも家庭教師であるおじさんに、こんな話ばかり聞かされて、ガンベッティ君は大丈夫なのだろうか……」と心配してしまう(下巻で、ガンベッティがいちばん腹黒いという結論に落ち着くのだが)。


 「……と、私はガンベッティに言った」というフレーズが絶えず反復する。おかげで、うちでは「消去ごっこ」が一時ブームとなり、「風呂がわいた、と私はガンベッティに言った」「聞きたまえ、ガンベッティ君」などのくだらない会話をしては皆、で大笑いしていた。

 うちの家族は、理不尽な親族にさんざん付き合っているせいか、妙に明るい。掛け軸論争の時も、怒るよりも先に笑いが出た。理不尽なことが日常的にあると、「怒るより先に、まずは笑っておけ」という発想になる。


 さて、『消去』の話に戻ろう。主人公は上巻「電報」で、家族への悪口を吐きまくる。ところが、下巻「遺書」になって一族の人々に実際に会うと、態度がぶれてくる。妹の夫を見て「あの男は“われわれ一族”にはふさわしくない」という。あれほど、「こんな一族とは決別したい」と言っていたのに! 「あの人たちが大嫌いだった。だが、死んでほしいと思ったことは一度もない」と、主人公は独白している。

 「私の人生を破滅させた」、従姉はそう自分の父親を呪った。だが彼女は、父親が病気になった時に心を尽くして介抱し、亡くなった時には心から涙を流したのだ。


 一族の血は、逃れがたい宿命だ。だからこそ執着し、だからこそ嫌悪する。ムーラウは、このぐるぐるした思いを、手記に書くということで「消去」しようとした。だが、ムーラウは自分が嫌う故郷から逃れきれない。そこには、逃れたいのに逃れられない奇妙な引力にとらわれた者の悲哀がある。

 おそらくベルンハルトも私の従姉も、とてつもなく理想が高くて潔癖なのだろう。「こんな世界は我慢がならない!」と激しつつ、それでも世界を破壊しようとはしない。これだけネガティブな感情を爆発させているにもかかわらず、『消去』を読んで後味が悪くならないのは、そこに分別があるからだと思う。
 
 人は彼の激情を「怨嗟」「嫌悪」と名づける。だが、沈殿するかすかな感情もあるのだ(本人に指摘したら激昂するだろうが)。おそらくその名を愛という。


トーマス・ベルンハルトの著作レビュー:
「ヴィトゲンシュタインの甥」


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