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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『不穏の書、断章』フェルナンド・ペソア

ポルトガル文学 ☆☆☆☆☆

[自己という迷宮]
Fernando Antonio Nogueira de Seabra Pessoa Bivro do desassossego

不穏の書、断章

不穏の書、断章

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

 神の不在。それもまた、ひとつの神である。


 他人を理解することは誰にもできない。

 自分の精神以外のものは、どんなに努力してみても、私の眼には画き割りや装飾品でしかない。……だから、私はいつも人間の動きを――歴史上の共同体の大いなる悲劇や出来事を――色のついた流れのように感じた。そこには、事件を体験する人々の魂は不在なのだ。私や中国で起きた事件のために心を悩ましたことはない。それは、たとえ血やペストで描かれていたとしても、遠くの画き割りなのだ。


 統一した自己を失った――あるいは否定した――ポルトガル生まれの「異名」詩人が残した断片。
 彼の思考は絶えず移ろい流れ、ちっともまとまっていない。すべての言葉が、紙の上にぶちまけられた「断片」なのである。ペソアがひとつの物語を紡ぎだすことはありえなかっただろう。「生きることに向いていないということが、私の天才の微かもしれないし、私の臆病さが洗練さの微かもしれない」と、詩人は告白している。

 アイデンティティは、自己防衛のために必要な「大いなる嘘」であると思う。「私はこういう人間だから」と自分にラベルを張ることによって、人は「軸」という慰めを得る。「一本筋がとおった人」は、見ていて気持ちがいいし分かりやすい。当人も心の平安を手に入れられるから、生きるのが楽になる。
 私もまた「軸を持つ人間」を目指していた。しかし、今は「軸」をそれほど重視していない。人間はどこまでも複雑で、予測不能なものだと思うからだ。「分かりやすい人間」は心の平安と引き換えに、人間が持つ多様性を無邪気に排除する。「私がこんな人間だ」という答えに対して、ロジックエラーが起きてはいけないから。


 対して、ペソアは「分かりやすさ」とは無縁の人間、ロジックエラーの塊である。おそらく他の人間が「こんなことを考えるのは“私”らしくない」と無視する心象を、彼はすべて記憶する。そして考える、「なぜ、相争う感情が私ひとりの内に同居するのだ?」。ほとんどの人は、いろいろな感情を持つ自己を「ひとりの人間」とみなす。だが、ペソアはそうしなかった。それぞれの考えや心象に、別々の人間の名前――「異名」をつけた。

 ベルナルド・ソアレス、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポス、アルベルト・カエイロ、そしてフェルナンド・ペソア。彼は異なる略歴と思想を持つ詩人たちを自己の中に見出した。ペソアは70人近くの人格を生み出したと言われている。

 私は複数である。

 
 同一性は私たちの魂のうちにしか存在しない。

 
 もうずいぶん前から、私は私ではない。


 過去の自分は、私が愛する誰かだ。


 宇宙のように 複数であれ

 自己を分解し続け、「私は私だ」と言い切れない。これははつらく、そして終わりのない仕事である。ペソアは旅行嫌いで、ほとんどリスボンから出なかったという。これだけ自己を旅し続けているのなら、外国に行く意味などないだろう。「人生は意図せず始められてしまった実験旅行である」。


 ペソアが「他人に興味を持てない、他国で起きた惨事などどうでもいい」と言ったのは、本当のことなのだろう。
 カミュ『ペスト』やV.E.フランクル夜と霧』でも、同様のテーマが出てきたことを思い出す。「災厄はどこまでもそれを受けた個人のもので、外部の人間が同情することなど絶対にできない。自分が被っていない災厄はすべて対岸の火事、隣の町で死んだ人のように遠い出来事なのだ」。「私は自分が冷淡な心の持ち主だということを認める」という言葉は、ひどく誠実であると思う(だが、自己を飾れない人間は往々にして叩かれる、残念なことに)。


 自分は自分でしかいられないが、世界にとって自分は交換可能な任意の点でしかなく、その死は石ころのようにどうでもいい。この事実に対してオマル・ハイヤームは「だったらこの世を楽しめ! 酒を飲め!」と叫んだが、ペソアはそこまで吹っきれなかったようだ。ペソアはおそらく、自己という迷宮を彷徨い続けたままこの世を去った。

 プラタ街から、ドウラドーレス街から、ファンケイロス街から消えてなくなるのは、この私だろう。明日、この私が。――感じ、考えているこの魂が。自分にとってこの宇宙すべてであるこの私が。……そして、私がしたすべてのこと、私の感じたすべてのこと、私が見たすべてのことは、なんの変哲もない街の通りの日常生活のなかで、通行人がひとり少なくなったということだけになってしまうのだ。

 ちょびひげおじさんの思考は重苦しい。不穏で憂鬱。だけどページを繰る手は止まらず、あちこちに線を引き続けてしまった。この本は、そういう本である。


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