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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『肉桂色の店』『砂時計サナトリウム』ブルーノ・シュルツ

[グロテスクなのに美しい]
Bruno Schulz Skeipy Cynamonowe,1934. Sanatorium pod klepsydra,1937.

シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)

シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)


コスモス―他 (東欧の文学)

コスモス―他 (東欧の文学)


 本書を読んでいる時の私は、きっとかなりの不審者だっただろう。いったい何回「うわあ……」とつぶやいたのか、もはやさっぱり覚えていない。

 ゴンブロヴィッチ、ヴィトキエヴィチらとともに「ポーランド・アバンギャルド三銃士」の1人に数えられる「異端」作家シュルツの連作短編集。シュルツの作品は『肉桂色の店』『砂時計サナトリウムの2作しか残っていない。本当はもう少しあったらしいのだが、第二次世界大戦時にことごとく散逸した。シュルツは、戦時中にゲシュタポの手によって銃殺されてしまった。彼はユダヤ人だったから。


 本書は「うわあ」な作品だ。さて、この「うわあ」には2種類ある。1つは、あまりにも異常すぎる「父親」の描写に対して。
 主人公の父親は個人店を経営しているが、基本的に病気がちで狂っている。「アデラ」という名の女中に服従し、偏執的なうえにしょっちゅう「変身」する。しかも、変身するものといえば「ゴム管」「あぶら虫」「ザリガニ」など、まったくもって全然かわいくないものばかり。何回も死んで(彼は死を分割し、賦払いにしていた!)、挙句の果てには妻に料理されて食卓に並ぶ始末(当然、誰も手をつけようとしない)。なんというか、泣けるほどグロテスクだ。東欧諸国では人が本当に変身するのではないかとまじめに疑いたくなってくる。


 もう1つの「うわあ」は、あまりにも美しすぎる「世界」の描写に対して。

 震える空気の層のものうい静寂、床に移って熱い夢をゆめみる数個の矩形の光、真昼の金の鉱脈の奥底から掘り出された手回しオルガンの旋律……どこかで弾くピアノのたえず始めからやりなおす繰り返しの二つ、三つの小節が、白い歩道の陽光に失神しては、昼中の深い火炎の中に迷いさる。 ――「八月」より

 夜空は無辺際の中へ伸び広がり、星座たちは、古代そのままの配置を守って美しく焔をあげ、その恐ろしい沈黙によって何かを予告し、何やら究極的なことを告知しようと欲するかのように、魔法の図形を天井に描き出している。それら数々の遠い世界のきらめきから、しきりに鳴く蛙の声、星々の銀色の声高な話し声が流れてくる。七月の夜空が、世にも珍しい流星の芥子つぶをふりまくと、それらは音もなく宇宙に吸い込まれていく。 ――「七月の夜」より

 装飾的な文章は、読む者の思考力を削いでいく。だが、これほど四季を美しく描いた海外文学は久しく目にしていなかった。特に「八月」「鳥」「肉桂色の店」「七月の夜」「父の消防入り」の映像的な美しさは強烈。「鳥」のラストシーンはヒッチコックキューブリックの映像を思い起こさせるようだった。


 グロテスクと映像美が渾然一体となって、文章という濁流に乗ってなだれ込んでくるような本。なかなか疲れるが、いい読書だった。


recommend:
⇒いろいろ勘弁してほしい感じの「変身」小説群。
カフカ『変身』…東欧では、人が虫に変身するらしい。
ランドルフィ『カフカの父親』…父親も変身するらしい。
残雪『廊下に植えた林檎の木』…母親が石鹸水になる。
ダニロ・キシュ『砂時計』…消えた東欧、消えたユダヤ人の父親。