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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『密会』ウィリアム・トレヴァー

[愛は沈黙の裏に]
William Trevor A Bit on the Side,2004.

密会 (新潮クレスト・ブックス)

密会 (新潮クレスト・ブックス)

彼らは愛を抱きつつ、離れてゆき、お互いから立ち去った。未来は、今2人が思っているほど暗いものではないと気づかずに。 ——「密会」より


 「Weep」という単語は、アメリカ大陸のためではなくブリテン島のためにある。本書に収められている短編「ローズは泣いた」(原題“Rose Wept”)を読んで、そんなことを思った。ジョージ・ハリスンだって“While My Guitar Gently Weeps”と歌っている。

 この本はそこそこの厚さがあるが、どこまでも寡黙である。不器用で心に傷を持つ人々は、多くを語らずに心のうちですすり泣いている。愛は、沈黙の裏にひそやかに存在する。以下、各編の感想。気に入ったものには*。


死者とともに:
 「夫はこの家が欲しくて私と結婚したんです」。夫に死なれた女性が、弔問のために訪れた2人の女性に心のうちをさらけ出す。泥炭をたいて、客人のために紅茶をふるまう。小さな部屋の中に、アイルランドそのものがある。

伝統:
 「彼らはコクマルガラスに言葉を教えていた。何十年も前から続いている伝統だった」。カラスが殺されるところから、物語は始まる。殺したのはいったい誰か? 少年は寮のメイドが犯人ではないかとあたりをつける。寄宿舎にまでメイドがいるとは、さすがブリテン島。『寄宿生テルレスの混乱』にも似た、青年の性への目覚め。

ジャスティ—ヌの神父:
 白痴の少女ジャスティーナと、庇護者としての神父。彼女は何も罪を犯していない。しかし、彼女は許しを請うて祈り、そして神父は許しを与え続ける。本書に収められている「聖像」と同じで、「宗教国家で衰退していく宗教」がテーマ。ジャスティーナ姉の神経質ぶりが、妙にリアル。まさに「疲れ切った女のいらつき」という感じ。

夜の外出:
 出会いを求めるはぐれ者の男と女。エージェントをとおして出会った2人は、お互いに値踏みし「合わない」と見切りをつける。「お互いにどうでもいい」と思いあうことで、同意した2人。それもまた一種の対等な関係である。諦めのよさを持ちながら、それでも諦めきれない人々の、奇妙な人間関係。女性に堂々とたかりにかかる男のだめっぷりがすさまじい。なのに、最後は妙にさわやかなんだから参る。

グレイリスの遺産:
 愛人が莫大な遺産を残して死んだ。図書館でひそやかに始まった恋、というのがいい。事情を知らない相手に言い訳をしてしまう男。女性が遺産を残したのは、どうしようもなく「噂」を気にしてしまう小心者の男への、ささやかな趣向だったのだろうか。
孤独:
 根なし草のように、ホテルを転々と移り住む一家の1人娘の一生。かつて、彼女には家があった。しかし、両親は家を捨てた。彼らが犯した罪と、1人娘が起こした過ちの代償として。幼少時代の思い出から老年期までの視点の移り変わりが、映画のような見事さ。見知らぬ人だからこそ、すべてを吐露してしまいたくなるこの激情は、なんとなく分かる気がする。

聖像:
 腕の立つ聖像職人には、残念なことに仕事がない。金のために、妻はある計画を立てる。子供が生まれすぎる貧民のつらさと、子供が生まれないことの精神的なつらさ。少子化が進んでいる先進国では久しく忘れられた風習をかいま見る。

ローズは泣いた:**
 若い妻に浮気されている冴えない老教師を思って、教え子のローズは泣いた。女子学生の無邪気な残酷さ、それゆえの純真さの描写が迫真。最後のパラグラフは、詩的な美しささえ感じる。

大金の夢:*
 アメリカン・ドリームを夢見たカップルの話。彼らはともに、アメリカで成功する夢を語った。でも、お互いに離れて気づく。彼らが愛したのはお互いではなく「アメリカ」だったのだと。ふとした瞬間に、自分はあの人を愛していないことを知る。

路上で:
 ううむ、元妻を追いかける夫のひねくれぶりが何ともいえない。相手の涙や怒りが、自分にとっての慰めとなる。独り者の苦い心境。 
ダンス教師の音楽:
 平凡な生活を送る女が、イタリア人のダンス教師が奏でる音楽と出会う。没落する一族、枯れた花、暮れてゆくアイルランドの丘。そこに美しいあの音楽が鳴り響く。

密会:**
 いつもの場所で、男女はひそやかな密会を繰り返す。暗黙のルールのうえに成り立っていた関係は、ひどく壊れやすいものだった。未来はそれほど暗くはなかった。しかし彼らは未来に自信を持てなかった、ただそれだけなのだけれど。愛を抱えながら互いの人生から立ち去る。過去の記憶を呼び覚まされて、なかなかつらい作品だった。


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