キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『白い城』オルハン・パムク

[私はなぜ私なのか]
Orhan Pamuk Beyaz Kale,1980.

白い城

白い城


 「同じ青色をしているのだから、空と海がちょっとくらいつながっていてもいいじゃないか」という考えを、幼いころから捨てられない。境界線については、はっきりしているよりも曖昧な方が好みなのである。異なるものが交わって起きる化学反応、あるいは予測不能性がいい。だから、東と西の交差点であるイスタンブールは、その名を聞くだけでときめく。


 トルコ人のノーベル賞作家が描いた、2人の男の物語。「アイデンティティ」という正統派テーマと正面から切り結び、非常に端正な小説を書いた。
 主人公の「私」はイタリア人。時代は17世紀、「私」は海賊につかまって奴隷となり、オスマントルコでの生活を余儀なくされる。「私」は、トルコ人学者の「師」の元に引き取られる。彼は、「私」と同じ顔をしていた。
 2人は鏡を見つめるように、互いの中に互いを見出す。トルコ人とイタリア人、まったく異なるルーツを持つ2人は思考方法や記憶を交換し合い、共有するものが増えるにつれて2人の境界線が曖昧になっていく……。


 「イスタンブールの中の2人」というよりは「2人の中にイスタンブールがある」と言った方が正確かもしれない。「私」と「師」は薄暗く埃っぽい家の片隅で、テーブル向かい合わせでひたすら言葉を交し合う。そこでは、合わせ鏡が反響するような、濃密な2人だけの「世界」が展開する。
 「私」が「師」を憎悪し、うらやみ、愛する複雑な心理描写は真にせまる。「自分でない他人に固執する理由」が、本書では明確に示されている。ある意味で「私」と「師」は恋仲にあった、といってもいいだろう。

 「私はなぜ私なのか」という、西洋哲学が繰り返してきた問いを「師」は問う。これは、つきつめれば「なぜ私は交換可能な任意の点なのか」という問題にたどりつく。私は「私でしかいられない」のに、世界から見た場合に「私は交換可能」。これはクリティカルでありクライシスな問題だ。鏡合わせの2人が選んだ答えは、ある意味では救いであり、ある意味では絶望的なものであった。


 東と西が交わる都市で、トルコとヨーロッパのアイデンティティが交錯して融解する。こんなにクラシックな小説を久しぶりに読んだ。パムクは「トルコのカフカ」という異名を持つそうだが、カフカというよりはマキューアンやカズオ・イシグロのような端正さと職人技が光るタイプだと思う。ラストまできれいに決める手腕はさすがだが、きれいにまとまった小品というイメージで、大作ではない。もっとも、構成もオチもしっかりしているからこそ、パムクは本作のことをエンターテイメントと呼ぶのだろうが。
 人と文化は交差する。顔を付き合わせて互いに何かを残して、背を向けて離れるまで。


recommend:
イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』…イタリア人とハーンの会話。
梨木果歩『村田エフェンディ滞土録』…日本人、イスタンブールに渡る。


おまけ:
『白い城』そのほかの中東系作品を読む時におすすめのBGM。

Nitin Sawhney Breathing Lights.