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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『競売ナンバー49の叫び』トマス・ピンチョン

アメリカ文学 ☆☆☆☆

[陰謀か幻想か?]
Thomas Pynchon The Crying of LOT 49,1966.

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

競売ナンバー49の叫び (Thomas Pynchon Complete Collection)

競売ナンバー49の叫び (Thomas Pynchon Complete Collection)

さてエディパの方は、というのに、なんとも多数の部分から成り立つ<神>の隠喩に直面している。……このごろはどちらを向いても偶然ばかりが花ざかり、その偶然を結びつけるものは、ただ一つの音、一つの単語、<ザ・トライステロ>。

……数々の啓示がいまや指数関数的に殺到し、集めれば集めるほど多くのものがやってくるという感じになり、ついには見るもの、嗅ぐもの、夢みるもの、思い出すもの、一つとしてどこかで<ザ・トライステロ>に織りこまれないものはなくなってしまった。


 世界が、自分を冗談に巻きこもうとしている。小さい頃、そんな風に思うことがしばしばあった。例えば、なくしたはずの鍵が1カ月後にポストの中に入っていた時。「酔生夢死」という単語を1週間の間に3回も聞いた時。
 おそらく、ただの偶然なのだろう。世界は、私1人にかまけているほど暇ではない。しかし、数々の偶然や符合がカチリとそろった時、何かしらの運命や物語を感じてしまいたくなる。


 本書は、世界が主人公に向けて、「ザ・トライステロ」という冗談を全力でしかける物語である。「とにかく難解」との評価が定着しているせいかピンチョン作品はなかなか手を出しにくいが、本書は中でも読みやすい方だ。

 「トライステロ」は、かつて歴史上に存在したとされる私設郵便制度・団体のことで、「消音器つきの郵便ラッパ」がシンボルマークである、らしい。が、実際のところは存在自体がよく分からない。平凡な主婦エディパは、大富豪であった元恋人の遺言状が示す謎を追ううちに、「トライステロ」と「ラッパ」のマークにたどりつく。トライステロとは何なのか? その意味は? 正体は?


 この物語は、トライステロの正体を暴こうとする「素人探偵が謎を解くミステリー」にも思える。しかし、通常のミステリーと決定的に違うのは、いわゆる謎解き用のヒントが、足並みそろえてエディパのもとに大挙して押し寄せてくるところ。
 たまたま見た劇中のセリフに「トライステロ」の名前が出てきたり、見知らぬ人間のノートにラッパマークが描いてあったり、飲んだくれのじいさんの手にラッパの入れ墨がしてあったり……どう考えても偶然としか思えない時、どう考えても陰謀としか思えないような事象が配置されている。世界はラッパの影、トライステロの足音と息づかいに満ちている。しかし、本体はいつまでたっても見えない。正体は分からない。

 ピンチョン作品おなじみの「エントロピー」概念も登場する。この作品のエントロピー(無秩序さ)は、物語が進むにつれてどんどん増大する。一度「現実」と「幻想」の境界が割れてしまえば、世界は両者の差が分からなくなる「まっ平ら状態」に向かって突き進んでいく。

 トライステロは、大富豪がかつての恋人のために用意した「陰謀」なのか、それともエディパの脳内が生み出す「幻想」なのか? ミステリーとしても、ファンタジーとしても楽しめる。こんな重厚で愉快なエンターテイメントを出してくるとは。さすがピンチョン、クールである。

「私が来たのは」と彼女は言った——「先生とお話すれば、ある幻想を追っ払ってくれるんじゃないかと思ったからよ」
「それは大事に取っておけ!」と精神科医は激しく叫んだ。「それ以外に、誰に何があるんだ?」

 
トマス・ピンチョン作品のレビュー:
『スロー・ラーナー』


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