ボヘミアの海岸線

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『マクベス』ウィリアム・シェイクスピア

[人殺しの覚悟]
William Sharekspeare Macbeth ,1606.

マクベス (白水Uブックス (29))

マクベス (白水Uブックス (29))

マクベス:
明日、また明日、また明日と、時は
小きざみな足取りで一日一日を歩み、
ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、
昨日という日はすべておろかな人間が塵と化す
死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、
つかの間の燈火! 人生は歩き回る影法師、
あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても
出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる物語だ、
わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、
意味はなに一つありはしない。


To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.


 哄笑して破滅まで突き進む男がいた。シェイクスピア4大悲劇、王殺しの物語。好きな台詞がある作品なのでよく読むが、そのたびに何ともいえない絶妙な苦々しさを味わう作品。

 スコットランドの将軍マクベスは、征伐の帰りに荒野で魔女の予言を受ける。「王になるお方」と呼ばれたマクベスは魔女の予言が忘れられず、やがて王座への妄執にとらわれる。スコットランド王ダンカン(すばらしく良心的な王様)は、最も信頼のおける部下 マクベスの城で一夜を過ごすことに決めるが、すでにそこには王殺しの罠がしかけられていた。

 マクベスは、ハムレットと同じように迷える主人公だ。魔女の予言が気になるが、王殺しを実行するには迷いがありすぎた。そんなマクベスを「何と情けない!」とマクベス夫人が叱咤激励する。

マクベス夫人:
あなたは偉大な地位を求める
野心はおもちだけど、それにともなうはずの
悪心はおもちにならない。手に入れたいと望みながら
手を汚すことは望まない。あやまちは犯したくないが
あやまたずかちとりたい。

 マクベス夫人の行動は興味深い。彼女は夫の弱気を指摘し、「わたしを女でなくしておくれ、頭のてっぺんから爪先まで残忍な気持ちでみたしておくれ!」と絶叫して自身を鼓舞する。そして、迷うマクベスに王殺しの刃を取らせるのである。一体「何」が、それほどまでにマクベス夫人を王殺しへと急き立てたのか? ダンカンは良心的な王で、不満はなかったはずだ。そこに「復讐」の心理は働かない。「復讐」は血が流されてから起きるが、「野心」は荒野から沸き起こる。


 「人殺し」の覚悟について考えた。人間は、人を殺したことがある人間と、そうでない人間に分けられる。殺人は、容易に超えられない「一線」だ。だからこそ『罪と罰』のラスコーリニコフは、人殺しによって通常の人間ではない「超人」になろうと考えた。
 おそらくマクベスは、「人殺し」をする覚悟などなかった。殺人を犯した人間の気持ちは、殺人を犯す前に想像できるものではない(実際に私は想像できない)。マクベスは、ただ勢いで殺したに過ぎない。自分の手が血で汚れていることに気づいた時、彼は慟哭する。しかし、殺人を犯した後、マクベスは自身を「悪」と定め、悪として突き抜ける覚悟を決めた。

マクベス:悪の火の手をあげたからには悪の薪をくべるほかない。さあ、奥へいこう。

 一方で、強気だったはずのマクベス夫人は「望みを遂げても何の意味もない」と狂気に陥った。マクベス夫婦の対比がシンメトリですばらしい。予言にだまされたことを知ったマクベスは、しかし徹底的な悪役として啖呵を切って、舞台の幕引きにまい進する。

 「悪役が悪役になる瞬間」を、『マクベス』で知ったように思う。物語の途中で改心する中途半端な悪役ではなく、カミュ『カリギュラ』のように、悪として突き抜ける存在。彼らは一線を越え、人が持つ「何か」を決定的に失った。
 荒野じみた不毛、魔女の高笑い、王殺しという不吉。実に読後がすっきりしない。だからこそ、考えることは尽きない。


シェイクスピア全集


recommend:
フォークナー『響きと怒り』…タイトルが『マクベス』からの引用。
カミュ『カリギュラ』…絶対悪であるという自覚。
柄谷行人『意味という病』…「マクベス論」収録。