キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『可笑しい愛』ミラン・クンデラ

[笑えない悲しみ]
Milan Kundera Risibles Amours,1968.

可笑しい愛 (集英社文庫)

可笑しい愛 (集英社文庫)

私たちは目隠しをしたたま現在を横切る。私たちにできるのはせいぜい、自分が何を経験しつつあるのかを予感し、推察することぐらいだ。のちになって目隠しが解かれ、過去を検証するときになってやっと、私たちは自分がなにを経験したのかに気づき、その意味を理解するにすぎない。
(「誰も笑おうとしない」より)


 チェコの作家としては、日本ではカフカの次に有名であろうミラン・クンデラの初期短編集。クンデラの作品は非常に都会的だ。笑顔で容赦なく、しかもエレガントに人の心を暴いてくる。繊細な美学を持つ殺し屋か、手さばきの美しい外科医のような文体イメージ。
 本書では、冗談のつもりだったのにいつのまにか冗談ではなくなっているという悲喜劇が描かれる。そして性の歪み。自意識過剰。軽すぎる生。笑いきれないことの悲しみ。
 どれもこれも非常に美しく、苦い。以下、各編の一言感想。気に入ったものには*。


「誰も笑おうとしない」
 ちょっとした出来心で、「書く」といった論評を書かなかった大学教授が破滅するまで。クンデラの書くインテリはいい感じにイラっとくる。「嘘をクールにつきたい」あたりの自尊心を見ていると、もぞもぞする。「もし人間が人間なら、ただそれを笑うことしかできないでしょう」と彼は言った。けれど、誰も笑おうとはしない。あーあ。

「永遠の欲望という黄金の林檎」
 手段を目的とする、愚かな老人の楽しいナンパ計画。主人公のおじさんによる、イスカリオテのユダへの考察が面白い。ユダはイエスを信じすぎた。勝利を早めたいがために、イエスを目的としたのである。

「ヒッチハイクごっこ」
 彼と彼女の心のずれ。日常と違う刺激が欲しくての「ヒッチハイクごっこ」。しかし、男は自分の恋人が他の男にいい寄る演技を見て衝撃を受ける。恋人は、願望、抽象的な考え、信頼の産物に過ぎない。女性は自己を解放して、男は嫉妬の牢獄へと足を踏み入れる。

「シンポジウム」
 酒を飲んで性について語る、現代版『饗宴』。なんたる喜劇! いやあ、インテリの馬鹿っぷりをここまで書ききるとは、クンデラぐっじょぶ。すてきな名言が目白押し。

「きみの乳房は5メートル離れたところにいる男にもふれそうになる!」
「ぼくを月と一緒にそっとしておいてください。ぼくもまたここに小便をしにきたのです」
「そういっているときの彼女の尻はもう尻ではなかった。悲しみそのもの、踊りながら部屋を横切る、みごとに形の整った悲しみだった」

 悲劇的な陽気さを持つ。なんだかすごく東欧らしい。

「老いた死者は若い死者に場所を譲れ」
 15年ぶりに会った年上の女性との語り合い。老いること、精力がそがれていくことの悲しみ。彼女を脱がすところを想像「できない」。思い出を後生大事にとっておく男性の姿をえぐり出す。

「ハヴェル先生の20年後」
 「シンポジウム」に登場したハヴェル先生のその後。美人の女優を妻にしたけれど。「老いた死者」と同様に、老いた男の悲しみを描く。

「エドワルドと神」
 愛しているなら体なんて求めないで! という女の子と、愛しているからこそなのに! という男の子の悲しき平行線。なんとなく『狭き門』を思い出した作品。最後に逆転するあたりがいかにも現代的だけど。


 7編それぞれが、適度な長さでしかも面白い。『存在の耐えられない軽さ』の冒頭、ニーチェの引用で「ああ、クンデラは向かない」と思った人は、まず本作から読んでみることをおすすめする。


recommend:
プラトン『饗宴』……酒を飲みながら性について語る。「シンポジウム」を読んで真っ先にこれを思い出した。
アンドレ・ジッド『狭き門』……愛しているがゆえに恋人を拒む女。