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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『作家とその亡霊たち』エルネスト・サバト

南米文学 評論 ☆☆

[辺境から]
Ernesto R. Sabato El Escritory Sus Fantasmas, 1963.

作家とその亡霊たち

作家とその亡霊たち


 バートルビー症候群にかかったアルゼンチン作家による小説論。サバトはこれまでに3作しか小説を書いていない。「書かないことで名声を獲得する」といえば、最近読んだところではドン・デリーロ『マオII』に登場する作家がそうだった。あと、フアン・ルルフォも2作を出したのみの寡作作家である。
 なぜ小説を書かないのか、おそらく作家によって理由はまちまちだ。サバトの場合、この人はおそらく潔癖なんだろうなと思う。「よほど突き動かされる思いがない限り、小説は書きたくない。そして作家は書くべきではない。売れるために書くなどもってのほかである」。強固な主張の断片は、この主軸に沿って展開される。


 アルゼンチンは辺境であり、インディオの文化があるペルーやメキシコとは違って、根ざすものがない根無し草のようなものであるらしい。ヨーロッパに憧れながらも、植民地化の恨みからヨーロッパを排除しようとする。帝国主義に飲まれた辺境が抱えるジレンマについて、サバトは「アルゼンチン人は、自分たちのルーツがヨーロッパと認めるべき。どちらにせよ、南米ではヨーロッパとは違う展開をする」と述べる。
 なるほどと思う部分もあるが、自分たちのことを「我々野蛮人」と呼び、20世紀の超有名ヨーロッパ作家(ジョイス、フォークナー、カフカ、ドストなど)ばかり褒めちぎる感性がよく分からない。

 ラテン・フランス文化を部分的に継承しつつも、スペインというヨーロッパの周縁「野蛮」地区として合理的・科学的という厳密な意味でのルネッサンスを経験しなかった国を先祖に持ち、常軌を逸した新しい大陸に育った我々アルゼンチン人は、ドストエフスキートルストイキルケゴールストリンドベリニーチェカフカといった作家を痛切に理解する素養を備えている。その点では、他には何の役にも立たないかもしれないアルゼンチン人も、ある種のヨーロッパ人に対して、ある種のヨーロッパ的事実をどう正確に理解すべきかを教えることができる。
 さらに野蛮人というものは洗練されすぎた文化に対して常に重要な役割を果たすものだ。

 自分たちの国を冷笑しながら、ヨーロッパに対する「憧れ」と「理解」を語る。なかなか屈折した印象を受ける。
 強烈だったのは「客観主義」と「ヌーヴォー・ロマン」に対する徹底的な批判で、特にロブ・グリエを名指しで何度もボコボコにしている。主義主張を語るのは大いに結構だが、わたしはもう少しエレガントな方が好きだなあ。


 「南米のアルゼンチン」という場所から世界文学を見たときに、どのように見えるかという新しい視点を期待していたのだが、思ったよりも「ヨーロッパ」的だった。サバトは「アルゼンチンに辺境らしさを期待するな」と言っているので、少しぎくりとしたが。
 アルゼンチンについて、いくつか面白い視点は得られたけれども(南米の人間はロシア文学を理解する素質があるとか、タンゴは世界で唯一内向的なダンスであるとか)。
 潔癖で頑固なおじさんが語る作家論という印象。うーん、作家論ならもっといいものがありそうな気がする。


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