ボヘミアの海岸線

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『アガメムノーン』アイスキュロス

[憎しみは連鎖する]
Aischylos Agamemnon B.C.5.

アガメムノーン (岩波文庫)

アガメムノーン (岩波文庫)

しかしそれでも、眠りのさなかにも、滴のように
心の臓をたたくのは、古傷の疼く痛み、そして
否応なくやってくる、おのれの分を思い知る日


 ギリシア三大悲劇詩人のひとり、アイスキュロスの「オレステア三部作」の第一作。トロイ戦争に遠征した、王アガメムノーンの悲しき末路。

 長年のトロイ遠征から帰ってきたアガメムノーンが、帰ってくるなり、妻クリュタイムネーストラーと従兄弟アイギストスに謀殺される。理由は、アガメムノーンが、娘イーピゲネイアを戦の生贄として殺したことによる。

 読んでいてすごいと思ったのは、父王アトレウスから脈々と続く、おどろおどろしいまでの血なまぐさい人間関係。弟を殺して妻を奪う、妻を奪った国を滅ぼす、娘を殺した夫を殺す、妻と従兄弟の不貞、政敵の弟に子供の肉を食らわせる、父の恨みを買って子供が殺される……。

 「したことだけの報いを受ける」という理が、ギリシア哲学の基盤にある。殺した者はいつか殺され、その者もまたいつか殺される。復讐の連鎖は止まらない。

 おそらく戦争は、「あちらはこちらと違う」という決別、「あいつらは私の大事なものを奪った。だから奪い返す」という理由のもとに起こる。それぞれが、自分の主張は正当だと思っている。部分的にそれは確かに真実で、だからこそやるせない。

 不吉の予言者として有名なカッサンドラも登場する。神の代理としての予言は、ギリシャ悲劇では、変えられない決定事項である。カッサンドラの「ぺぅー、ぺぅー」という台詞が印象的すぎた(原文はどうなっているんだろう)。妻クリュタイムネーストラーの、うさんくさいまでの凱旋の歓迎の言葉の中に、殺意の刃がときおりにぶい閃光を放つところも、読んでいてどきどきした。

 本書ではまだ、憎しみの連鎖は断ち切られない。次は息子による母殺しが予言されている。ギリシア悲劇って、どうにもこうにも、読者をとらえてはなさない何かがあるとつくづく思う。


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