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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『マオII』ドン・デリーロ

アメリカ文学 ☆☆☆

[氾濫するコピー]
Don Delillo MAOII, 1991.

マオ2

マオ2


 アメリカのアーティスト、アンディ・ウォーホールは、著名人の顔を大量コピーして、作品を作り上げた。毛沢東の顔はコピーされて極彩色になり、世界中をかけめぐる。彼が死んでもイメージは残る。手軽に大量に、マックのように。

 20世紀を形容する言葉はいくつかある。「戦争の世紀」「科学の世紀」そして「メディアの世紀」。ラジオ、テレビ、インターネット、20世紀にはかつてないほどメディアが発達したと言われている。
 人がメディアを作り出して、メディアが人の感覚を拡張する。世界の裏側のことを一瞬で見ることができる、悲劇は即座に知れ渡る。さてこうした状況で、人はどうなるか? デリーロが問うのはこんなことだ。いかにも20世紀、いかにも21世紀な問いであると思う。

 この話では、小説家とテロリズムが同時並行的に語られる。何の関係もないじゃないか、というつっこみはデリーロには効かない。むしろ一見無関係に見えるものをつないで語ることがデリーロのお好みらしい。

 主人公の小説家は、長い間隠遁していて顔を知られていない「謎の作家」である。だけど、彼の顔を写真に撮りたいという女性写真家が現れる。さらに小説家は表舞台に引きずり出されていき、さらにはテロ団体との交渉も始まっていくという、ストーリー的にはあまりよく分からない話だ。

 この作品は、物語というよりむしろ思想書のような印象をうける。アメリカのメディア論を小説化したらこんな風になるんじゃないんだろうか。ベンヤミンやリップマン、マクルーハン、アメリカ的なメディア論のオンパレードである。


 テロリズムは、なぜ20世紀から21世紀にかけて発祥したか? というひとつの答え。武力の民営化とメディアの影響は大きい。9.11を予見したともいわれるが、その扱いはどうだろう? 最後の作家の結末は、名を残すか残さないかという、おそらく人間が追い求める問題に対して、皮肉な印象を与えている。著名でも無名でも人間は死ぬ。運がよければメディアによって生き残る。

 興味深いテーマを扱っていて、それなりにおもしろく読んだが、この話題って、ともすると悲観的になりがちだから、もう少しユーモアがあった方がいい気がする。最高傑作と呼ばれる『アンダーワールド』を読むまで、デリーロについてはあまり語るまい。


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追記:
 ドン・デリーロ、久しぶりに邦訳が出た。しかもどんピシャリ9.11のことについて。→『墜ちてゆく男』とりあえずこちらを先に読んでみようか。


recommend:
メディア論の古典。
マクルーハン『グーテンベルグの銀河系』…マクルーハンはある意味彼自身がイコン。
ベンヤミン『複製技術時代の芸術』…アウラがあるとかないとか。
リップマン『世論』…公衆と群集。