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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『深い川』ホセ・マリア・アルゲダス

南米文学 ☆☆☆

[石は歌う]
Jose Maria Arguedas Los Rios Profundos ,1958.

深い川 (ラテンアメリカ文学選集 8)

深い川 (ラテンアメリカ文学選集 8)

「インカはもうみんな死んでるよ」
「だけど石は生きているよ」

「石は夜のあいだ歌うのかな」
「歌っても不思議じゃないな」


 インカの石壁は、その超然とした完璧さで知られている。「カミソリ一枚通さない」というキャッチコピーは伊達ではない。あまりの見事さに、かつて欧米の侵略者たちは、魔法で組み上げたものだと思ったらしい。

 アルゲダスは、アンデスの土と風の「力」のようなものを描く作家だ。彼のスタイルは、インディヘニスモ(先住民主義)文学と呼ばれている。アンデスの文明は、不思議な魔力に満ちている。ナスカの地上絵などを見てもそう思う。アルゲダスの描く世界でもまた、川は世界を渡り、インカの石壁は息づき、コマは伝言を風に乗せて歌っている。

 『深い川』は、普通からずれこんでしまった少年が、インディオの精神世界と、心を通わせる物語だ。奇妙な縁というのはあるもので、『夜明け前のセレスティーノ』に続き、南米の少年時代を描く本の読書が続いている。

 アルゲダス自身、白人でありながら、むしろインディオの中で生活したという過去があるという。インディオは、ケチュア語を話すということを、本書を読んではじめて知った。少年時代の記憶がもとになって作られているのだが、甘いノスタルジーで終わらないところがいい。ペルーの乾いた雰囲気がぞんぶんに味わえる一方で、さわやかさもあわせ持つ、なかなか稀有な作品であると思う。

 少年エルネストが、クスコを訪ねるシーンは一等好きだ。一度行ってみたい町だから、なおさらかもしれない。インカの石壁を歩く少年と、町中に鳴り響く鐘の音の情景が目に焼きつくように浮かんでくる。

 霊力を持ったコマ、スンバイユを使う場面もよい。少年らしい熱中さをもってスンバイユをまわし合うのだが、ただのコマ遊びではない。
ライカ(魔力が宿る)なスンバイユは、言葉を乗せて、遠い地にいる父親に伝言を運ぶことができる。そういえば、子供の頃は、本当にこういうことを考えて世界を見ていたと思い出す。大人からは、ただのコマ遊びにしか見えないけど、子供にとってはそうじゃない。ああ、そうだった、こういう目線なんだよね、子供と世界の対話って。

 エルネスト少年が、あまりにも澄んだ視線で世界を見るものだから、どきどきしながら読んだ。大人の代表格である神父との対話もなかなかだった。この神父というのは、いかにもな人物で、神の愛と平和を説きながら、同時に見せしめを推奨する。この生ぐささが妙にリアル。インディオと心を通わせる「浮浪児」エルネストと、神父は絶えず衝突を繰り返すが、ふとその対立がゆるむ瞬間もある。異文化の狭間で生きることは、絶え間ない衝突と和解を重ねることでもある。

 「この世がおまえにとって、残酷なものでないように祈るよ、エルネスト」


recommend:
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