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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『蜘蛛女のキス』マヌエル・プイグ


[言葉だけの官能]
Manuel Puig El beso de la mujer arana 、1976.

蜘蛛女のキス (集英社文庫)

蜘蛛女のキス (集英社文庫)

「あたしに迫ってほしいの?」
「いや、付かず離れずにしてほしいね」
・・・
「あたしに対して本当に優しいんだもの」
「いや、優しいのはあんたの方だ」


アルゼンチンの作家が描く、声だけの妖しく泥くさい世界。

映画の話、家族の話、恋人の話。暗くせまい、十分な物資がない場所に、長い間身を置かなければならないとしたら、たぶん人はこうした話題に花を咲かせるのだろう。

本書は、二人きりの会話だけでほぼ構成されている。とめどない会話。ずれる本筋と見え隠れする本音。「会話」の中に浮かび上がる不穏さと妖しさ。「視覚」描写はいっさいなく、「聴覚」だけが最大限に拡張されていて、耳をそばだてるようにして本を読んだ。ひたすら会話が続けられていくという、ただそれだけの物語なのに、あっというまにからめとられる、なかなか不思議な本だった。

バレンティンと、モリーナが、会話をする。会話の内容はいろいろあるけれど、ロマンティックな映画の内容が一番多い。ゴシックホラー系の恋愛物語から、ナチの宣伝映画まで、モリーナは自分も感情移入しながら、饒舌に、脱線しながら話をしてくれる。その話っぷりがなかなか見事で、本を読みながら「映画が見たいなあ」と何回も思わせられるくらいなのだ。夜が遅いから話はまた今度ね、と言われると、バレンティンと一緒に「続きを聞かせてよ」と言いたくなる。

バレンティンは粗野な男で、政治的な話が大好きだ。かんしゃく持ちで、ひどい言葉を吐く、けっこう子供っぽい男である。そんなバレンティンを、モリーナはやさしく包容する。あの包容力はすごくて、まさに「母なる」性質だと思う。のだが、とてつもなく女らしく、繊細な心の持ち主であるモリーナは、じつは中年のゲイである。しかし、会話からうかがい知る限りでは、モリーナはあまりにも「女性らしすぎる」から、どうしてもむさくるしい中年のイメージとモリーナが結びつかない。さらに、会話しかないから、けっこうきわどい話があっても、わりとさらりと受け流せてしまう。
たぶんここらへんが「プイグ・マジック」なんだろうなあと思う。
頑ななバレンティンが、だんだんと態度をやわらげていくその様子がどきどきする。さすが蜘蛛女。からめとる。

「おそらく他の作家がやったら陳腐の極みになることを、プイグは上品にやってのける」という評価を聞いたことがあるが、なるほどと思う一作だった。ややクラシックすぎる「男」と「女」、両極化された人間像だし、べたべたの昼メロ的な雰囲気が常につきまとうが、かなり上品に仕上がっている。ホモセクシュアルの話や、とんでもない下痢の話、不穏な政治状況が、こうまで軽やかに語られうるというのは、ちょっとした発見だった。
見ているのではなく、聞いていたい話で、ラジオドラマかなんかにしたらおもしろそうだと思った。土の香りがしない南米文学。うーむ、南米は広い。


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