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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『エペペ』カリンティ・フェレンツ

東欧文学 ☆☆☆☆

[エペペペペ]
Karinthy Ferenc EPEPE, 1970.

エペペ

エペペ

遅かれ早かれ、人はみなこの地に辿り着かねばならないのだろうか?……


 まったく言葉が通じない都市に、なんの前触れもなく迷いこんでしまったら?
 ハンガリーの作家が描く、ディスコミュニケーション小説。異国に行ったことのある者なら誰しもが経験している、独特の疎外感というものがある。本書は、その疎外感を、極限にまで拡張した小説だ。奇妙な引力がある。ほとんどが主人公のひとり言とひとり芝居でしかないのに、やたらと読ませてくる。


 主人公ブダイは、ハンガリー言語学者で、ヘルシンキで行われる会議に出るはずが、飛行機を間違えたらしく、まったく知らないエペペな土地に迷い込む。ブダイは、ハンガリー、フィン語、英語、ロシア語、フランス語、古代ギリシャ語まで分かるけっこう優秀な言語学者だが、この変な国の「エペペ語」はまったく分からない。

 言語学者の名誉にかけて、記号解読、音節の聞き取り、小説の読解など、見知らぬこの異国の言葉を解読しようと試みる。だけどこれらはすべて徒労に終わる。どこの文化とも接点を持たないなんて、そんなばかなことがあるはずはない、いつかは解読ができるはずだとブダイは信じる。しかし現にこの土地はここにあって、自分を疎外し続ける――。


 「ディストピア小説」と訳者は説明しているらしい。が、どちらかといえばコミック小説として私は読んだ。主人公ブダイの間抜けっぷりは特筆すべきもので、飛行機を乗り間違えるのを発端として、空港で場所を確かめもせずに町の中央に来て見たり、パスポートをあっさり渡してしまったり、お金をほいほい使ってしまったりする。しかも奇妙なかんしゃく持ちで(DV気味)、言葉が通じないことにぶち切れて暴れては、手を切ってめそめそしたり、一人でとても忙しい。ブダイが、次々と新しい解決法を片っ端から試しては、ものの見事に撃沈していくさまは、インテリのサバイバル闘争記、悲喜劇として泣き笑いを誘う。

 とんでもない数の人がとぐろを巻きながら列を作っている、冗談のような「群集」描写もなかなか見もの。言語も非言語コミュニケーションもまったく通じないこの世界で、唯一まともにコミュニケーションが成り立っているのが、セックスと戦争の弾丸だけというのは、なんだか示唆的だ。


 おそらくこのエペペな都市の問題は、言語が理解できるかできないかではなく、人が他者の話を聞く意思があるかないかの問題である気がする。「この都市の人々ですら、お互いを理解しあっていないのかもしれない」というブダイの問いは、それなりに真実に近いものをついているように思える。そんな中で、ただ一人の女性だけが、ブダイを理解しようと歩み寄ってくるのだけれど、それもまた物別れ。

 ブダイが教会のてっぺんまで登り、金色の夕日に沈む都市を展望するシーンが印象に残った。まったく我慢ならないこの都市から、ブダイは常に逃げようとしている。だけど一方で、景色の美しさにみとれ、この場に溶け込んでしまいたいと強く願ってしまうこの心。

 オチまでわりときれいに作られていて、映画化したらおもしろそうな作品だと思った。エペペ観光は、ちょっとおもしろそうと一瞬だけ思ってしまったけれど、やはり遠慮したい。


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