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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『だまされた女/すげかえられた首』トーマス・マン

[合わさりたい]
Paul Thomas Mann Die Betrogene, 1953.

だまされた女/すげかえられた首 (光文社古典新訳文庫)

だまされた女/すげかえられた首 (光文社古典新訳文庫)


 ドイツの文豪、トーマス・マンの晩年に書かれた中篇。訳者いわく「エロス三部作」のうちの2つらしい(あとのひとつは「ヴェニスに死す」)。

 「初老の女性と若い女のそれぞれのエロス」という枠組みらしいが、2作品はずいぶんと雰囲気が違っている。エロスといってもバタイユのエロスではなく、ムージルのエロス。むしろ両者の共通点は、エロスというよりは、登場人物の饒舌な語りぶりであるかと思う。親密さが増せば増すほど、日常会話が日常ぽくなくなっていくのがおもしろい。以下、各編の感想。


「だまされた女」:
 題名だけだと、倦怠感ただよう不倫小説のようだが、格調高い小説。初老の女性ロザーリエは、若いアメリカ男性に恋をする。30代の娘は、母親を複雑な目でみつめている…。老いの悲しみと、老いを越えた恋の喜び。晩年の作品らしい雰囲気がある。ロザーリエと、オールド・ミスの娘、アンナのツーショットが見所。「ママがわたしの誇りと理性に示してくれた名誉をまず返上させて」とか、親子の会話らしからぬハイテンションさである。
 母親は、素朴で自然を愛し、娘は自然より理性を重んじる。自然=感情、恋心、性欲といったもの。デカルト二元論以来の、理性と欲求の断絶は、根深いものであるらしい。だれにだまされるのかは内緒。苦いが後はひかない。

「すげかえられた首」:
 インドの物語をモチーフにした、あまりにも奇妙な三角関係。この話は、もう完全にいかれている(ほめています)。シュリーダマンという頭脳派の男、ナンダという肉体派の男。そして美しい腰を持つ女性シーター。
三角関係といっても、全員が全員に恋をして、身体やらなんやらがごっちゃになって、もはや3人分の大きな塊みたいになってしまう。シーターは三角関係の中心ではなく、むしろシュリーダマンとナンダの仲介だったのでは。
クライマックスにいくにつれて、ぶっ飛んでいく。サティって今もあるらしいですが…うーむ。


 大戦あたりのドイツ人の作品て、妙に東洋思想、神秘思想ぽいのが多い気がする。「だまされた女」は自然と人間の合一を、「すげかえられた首」は焦がれるものとの合一を、それぞれ望んで、それぞれ迎えた結末。


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