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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『白の闇』ジョゼ・サラマーゴ

ポルトガル文学 ☆☆☆

[見えないことについて]
Jose Saramago Ensaio sobre a Cegueira ,1995.

白の闇 新装版

白の闇 新装版


 ポルトガルの国民的作家が描く、見えないことについて、さらけ出すものについての宗教的寓話。
原題は『見えないことについての考察』。最近、『BLINDNESS』という名前で映画が公開された。

 突然目の前がまっ白になる奇病が、爆発的に広がる。名前も顔もいっさい意味を持たない、無秩序化する泥沼の世界の中で、ただ一人「医者の妻」だけが、目が見え続けて、世界を見ている。…

 異常世界もの、感染もの、閉鎖病棟の異常心理もののトリプル・コンビネーションときたら、エンターテイメントとして、おもしろくないはずがない。人間の知覚の7割以上(うろ覚え)が、目からの情報に頼っているというから、とつぜん目が見えなくなったことの恐怖というのは想像に難くない。
 「視線」は、自分が判断するための情報でもあるが、「他人からの視線」は、抑制でもある。
家ではトイレの扉を開け放つ人でも、デパートではちゃんと扉を閉める。誰かに見られたら困るからだ。観察する視線がなくなったら、人はどうなるか? ここから先は、見えないことによって見えるようになった、人間の性分と品性の問題になる。

 かなり宗教的な話で、キリスト教的な世界観をびしびしと感じた(さすが宣教師の国だ)。「盲目」というモチーフは、聖書に「人間の愚かさ」の象徴として登場する。「過ぎ越し」「ノアの箱舟」「バベル」あたりを意識しているのだろうか。主人公の一人である「医者の妻」の立ち位置が不思議で、彼女だけが病気にかからないで「観測者」としての立ち位置を持つ。彼女は汚泥にあっても汚れない人間として描かれる。

 そこらへんの宗教性を抜きにすると、ストーリーの主軸はわりとシンプルな閉鎖病棟系だった。エンターテインメントとしてはおもしろいし、一気に読んでしまう物語なのだが、なにかがひっかかるのは、この作品の持つ教科書っぽさなのかもしれない。


関連リンク:
映画『BLINDNESS』公式サイト


recommend:
カミュ『ペスト』…ペストで閉ざされた町。
ポール・オースター『最後のものたちの国で』…異様な世界で生き延びる。
スタンレー・ミルグラム『服従の心理―アイヒマン実験』…服従について。
映画『es』…悪名高き監獄実験。


追記:「神の視点」とかについての考察↓



本書で何が気になるって、やはり「語り手」の存在。

「医者の妻」は、「観測者」としての立ち位置にいる。しかし彼女は「語り手」ではない。彼女が知りえない場所の描写が入る。たとえば、エレベータに閉じ込められた経営者。そのことについて、文中では「物語は神話的だ」という言及がある。

「観測者」の上にあるメタ視点=「神の視点」になる。神の視点とは、「創造者である作者」の視点だが、この話の宗教性から考えて、「神さまの視点」でもあるだろう。「神は全てをご存知だ、だから正しく生きよ」という、キリスト教倫理の教えにのっとっている。「見られていないつもりでも、見られている」というメッセージとも一致する。

 なのに奇妙なことに、作中の登場人物は、ほとんど「神」について触れていない。教会がある世界だから、普通にキリスト教文化圏だと思われる。神の視点と道徳はあるのに、神と災厄が結びつけられて考えられないのは不思議だ。神に対する、祈りや呪い(どちらも質的には同じものだ)がない。むしろ登場人物は、神の話題を、意図的に避けているようにすら思える。

 人間の醜悪さと誇りがあって、それを見る神がいる。だけど、人間は「見られる」ばかりで、神を「見る」ことをしない。たとえば遠藤周作は『沈黙』で、「神は見ているだけで、沈黙するばかり」と嘆いた。こっちの方が私には理解できる。不条理な災厄の中でこそ、「神の存在」は力を増すはずなのに、その神への疑念と祈りがないから、なんか奇妙にいびつに見えるのだ、この作品は。

 災厄の中で人間性が現われる、人間性を剥奪された世界で人はどうなるかということなら、戦争ルポタージュや、対戦中の軍事実験の報告を読むほうが、よほど胸にせまるものがある。パレスチナチェチェンダルフールあたりを看過してまで、わざわざキリスト教ルールを遵守した寓話で読む必要はないと思うんだけどね。

 追記は思った以上に辛口になりました。まあ、わりとべた褒め評価が多いので、たまにはこういう意見があってもいいかなと。カミュの『ペスト』と比べられるらしいけど、カミュの方が数段優れていると、個人的には思う。