キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

ただの一日、あるいは


 今の時期、暮れ時には南西に金星が見える。明けの明星とも宵の明星とも呼ばれるこの星は、たぶん千年前にもあの位置にあった。

 星のめぐりにとって、2008年と2009年の継ぎ目は、何のかわりもない一日でしかない。流れめぐり続ける世界の上に、人間がグレゴリウス暦の枠組みを当てはめているにすぎない。太陰暦では、正月は別の日にめぐる。でもやっぱり人の世に正月はあって、人は祝い、飲み、愛し、忘れ、心の空気を入れ替える。星は沈黙のまま、回り続ける。

 国立天文台の所長が書いたエッセイで、確かこんなことが書いてあったように思う。記憶はいつだって飾られた的の上にある任意の点だから、多少は違うかもしれない。

 巨大なプラネタリウムから見える星空は、何の変哲もないただの一日を告げても、人間がそのただ一日の変化を祝う、それを見るのは好きだ。みんなでおいしいもの食べて、いい酒を飲んで、その頭上を星がめぐって、天にも地にも星が灯り、やがて新しい日が明けたことを教えてくれる。
 祝い事はいつだって大歓迎だ。ただの一日に一喜一憂する、人の世はそうでなくては。


 今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
 それではおやすみなさい。また明日。