ボヘミアの海岸線

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『オイディプス王』ソポクレス

[かくも血は呪われ]
SophoklésOidips ,B.C.5.

オイディプス王 (岩波文庫)

オイディプス王 (岩波文庫)

「わしは生まれながらの人非人なのか?救いようもなく、汚れ果てた人間ではないのか?」

 古代ギリシャの三大悲劇。傑作の名に恥じない古典。ギリシャの都市テーバイ(テーベ)の王様、呪われた血と運命についての物語。

 すべては始まる前に終わっている。「運命の糸」は、その中でもがく人間の鼻輪をひっかけて、容赦なく引きずり倒す。「オイディプス王」は、「事実」というたったひとつの一閃によって、美しい調和の上に成り立っていた神殿を瓦解させる。この過程があまりにも見事すぎる。
舞台はほとんど動かないし、会話だけ。みんなが止めようとする。だけど止まらない。この速度と容赦のなさが圧巻。

 運命ってなんだ、と思う。オイディプスは、確かに自信過剰だけれども、あそこまで呪われなければならない人間には思えない。
だからこその悲劇なんだろうな、とも思う。神々に予告された運命は、人間の手によっては塗りかえられない。そんな世界に、身震いする。

 不幸な、あまりに不幸な呪われた身の上。目が覚めるような話だった。


recommend:
ソポクレスによる、テーバイ三部作。
>『コロノスのオイディプス』…2作目。オイディプスのその後。
>『アンディゴネー』…3作目。オイディプスの娘の話。やはり血は呪われている。


容赦のない運命と崩壊について。
ガルシア・マルケス『予告された殺人の記録』…予告された殺人は。
フロイト『幻想の未来/文化への不満』…フロイトの考え。
ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』…フロイトへの批判。


フロイト先生についての覚書。↓

 正直に言えば、私はフロイト先生がもたらした思想の大転換については評価するものの、あまり彼の言うこと自体は好きではない。フロイトの理論は、つきつめていえば、彼が彼自身をどう語るか、という話だ。ぶっちゃけて言えば、偏屈だし、変態だし、それで人間まるっと語られてもなあ、と思ってしまう。

 フロイトの何がすごかったかといえば、デカルト以来の「私は理性を持った存在だ。自分は自分について、何でも知ることができる」という、近代科学もろもろの基盤となっていた前提に対して、「いやいや、人間は自分で知らないことがこんなにもあるんですよ」と言ったこと。「自分は大丈夫。これまで一度も酔ったことがない」なんて自信がある人ほど、「あなた、昨日××でしたよ」なんて言われて、多大なショックを受けるのに似ているかもしれない。

 まさに西洋は打ちのめされた。東洋は別にそうでもなかった。その後に世界大戦が起こり、ナチスが出てしまったものだから、西欧はそれまでの人間への視点を根本的に改めなければならなくなってしまった。まるで反動のように、サルトルが「自分たちは自分たちで作る!活動しよう!」と言ったり、構造主義が「人間は構造からできていて、自分の事なんか決められやしない」と言ったりするようになる。

 だけど、エディプス・コンプレックスって、フロイト自身の極端な性癖をどううまく説明するかのものであって、別に人間全般に当てはまる話ではぜんぜんないわけで。
 今回、『オイディプス王』を読んで分かった。あれをエディプス・コンプレックスに読解するフロイトさんの方が、超読解。絶対に世の中、「オイディプス王」の誤解している人が多い。発言力が大きすぎるのも、考えものだ。