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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『黄泥街』残雪

[まみれる]
CanXue 黄泥街 Huang Ni Jie,1983.

黄泥街

黄泥街

「なんたる風だ、人の頭の中まで吹き散らかしおって、世界最後の日まで吹こうってんじゃないか?」

 現代中国文学の奇才による、異様な街の物語。
 「黄泥街」という街が、かつてあったらしい。一本の通りで、黄色がかった灰色をしている空におおわれている。真っ黒な灰が降って積もる街。なんというか、予想を軽く越える、すさまじい話だった。頭の中が真っ黒な風に吹き散らかされたかのような眩暈をおぼえる。


 この小説、びっくりするほど糞尿まみれである。街と住民は、常に糞と蛆と蝿、そのほかもろもろの虫、どろどろの腐敗によって描かれる。住民の会話は、カフカを思わせる不条理っぷり。ほとんどかみ合わず、らちもあかない妄想がくり広げられる。人が死に、なのに生きている。失踪した人間が、別の人間として現われたと思ったら、やっぱり違っている。すべてが剥離し、こぼれ落ちていく。

 この混乱した世界の背景には、中国の狂乱、文化大革命がある。とある中国人が言っていた。「あの時代は、夢のようだった」と。確かなものなどなにもない。昨日言われたことは、次の日にはひっくり返される。謀反者は常にいるが、誰が謀反者なのかはわからない。そんな時代だったらしい。物語の中では、「王子光」と呼ばれるものが、たぶん文革を象徴しているんだろうと思う。

 王子光がいったい人間であったのか、むしろ一場の光であったのか、はたまた鬼火であったのか、だれにもしかとはわからなかった。
「王子光のイメージはわれら黄泥街住人の理想なのだ。今後、生活は大いに様変わりする」

 本書を読んでまっ先に思い出したのは、中国のトイレだ。モンゴル自治区、中国の西の果ての草原で見た、トイレとはおよそ呼べない汚物の穴が一気に記憶からよみがえる。

 中国のトイレは、大別して4種類ある。水が流れるかそうでないか、扉があるかそうでないか。西の方にいけばいくほど、水は流れないし、扉もない。水がほとんどない地域では、2、3メートルほどの穴をほって、そこにひたすら汚物を堆積していく。そして、いっぱいになったら埋める。その繰り返しだ。

 においに「押される」感覚、というのをはじめて知ったのはあの時だ。臭気がガスのようにこもり、風船のように肌をぬるりと押してくる感覚。においに空気抵抗があるのだとは思わなかった。ぐらつく足板にぽかりと空く穴をのぞけば、1メートルくらい下に、これまた1メートルくらい体積した汚物が見えていて、ああ、落ちたら間違いなく死ねると思った。


 黄泥街の臭気は、ガスがこもったあの真っ黒い汚物の穴を思い出せる。一度読んだら忘れられないタイプの物語で、ある種の耐性を試される。あれだけまみれておきながら、最初と終わりだけが美しい悪夢のようで、残雪にしてやられたという気がしてならない。


recommend:
ある耐性を試される本たち。
バタイユ『眼球譚』・・・目玉をどうするかって?
ジム・クレイス『死んでいる』・・・死と腐敗。淡淡とした描写。