ボヘミアの海岸線

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『スロー・ラーナー』トマス・ピンチョン

[ぶっちゃける]
Thomas Pynchon Slow Learner 1984.

スロー・ラーナー (トマス・ピンチョン全小説)

スロー・ラーナー (トマス・ピンチョン全小説)

スロー・ラーナー (ちくま文庫)

スロー・ラーナー (ちくま文庫)


 昔の日記や作文を読んで、逃げ出したくなった思い出はないだろうか。私はある。朗読されようものなら、もはや拷問だ。その場で燃やして、自分もどこかに埋まりたい。いち市民はそのくらいですむかもしれないが、作家となるとそうもいかない。作品として出した以上、燃やすことも埋まることもできない。過去の作品に対して、作家は行儀よく沈黙を守るのが通説になっている。だがピンチョンはこの通説を破った。

 本書は、20世紀アメリカにおける最も重要な作家の一人として位置づけられる、ピンチョンの「序」つき短編集。というか、むしろ「序」が本編という、変な本である。『スローラーナー』は「序文」の名前で、意味は「のろまな子」。ピンチョン自身が、初期に書いた短編について批評している。これがまた、ぶっちゃけている。「格好つけただけ」とか「書いてみたけど、意味はわからなかった」とか「どこそこからパクりました」とか、見ているこちらが「え、いいの?」と困惑するぐらい。さすが型破りの作家である。
以下、一言感想。おもしろかったものには*。

「スローラーナー」*:
 「エゴに打撃」「再読してぼくのさいしょの反応はイヤコイツハ参ッタで」「何とか全面的に書きなおせないものかと思った」などなど、名文句頻発。素直すぎて笑える。最初読んでも、言っていることの半分もわからないので、全部読み通したあとに読んだほうがいいかもしれない。

「小雨」
 陸軍の若者たちの断片と、雨。アメリカの若者ぽさがある話。ピンチョン・コメント→「(ラストについて)言語が急にあまりに凝ったものになり、読むに耐えない」。セックスとかジョークとか言っていた若者が、最後になってエリオットを引用しだすのは、たしかにちょっと奇妙かも。

「低地」
 家を追い出されて、ゴミ捨て場に流れた男が、ジプシーの女性といっしょにもぐりこむ。流される男の行き着く先。これもけっこう若々しい話。ピンチョン・コメント→「ぼくがこの短編を書いたときには、彼(主人公)は相当にクールな人物だと思ったのだが」

エントロピー*:
 真冬にアパートでどんちゃん騒ぎ。ウィーナー『サイバネティックス』読むと、「たしかに、エントロピーを小説で使いたいのは分かるかも」という感じがする。「エントロピー」について補足メモ。(ネタばれ気味なので反転↓)
ものすごく乱暴にまとめると、エントロピーは熱力学の話で、事象は常に「平らな状態」に向かっているんだけど、まっ平らになるとそれ以上の変化がない=「終わり」というもの。人間の身体も、細胞は刻一刻と「死」へとむかっていて、もの食べて「代謝」させないと、平衡状態になって死ぬ。この短編でいえば、窓が割られて、暑い部屋の中と、極寒の外の空気が平衡になって動かなくなるところが、「エントロピーの増大」をモチーフとしたクライマックスになっている。
ピンチョン・コメント→「新米の作家がいつも、犯さないようにと警告されている、手続き上の誤りの好例」「キュートでしょ?」

「秘密裏に」
エジプトとスパイと陰謀。そういえば、昔はスパイにあこがれた。でも、よく考えたらいやな職業ですね。ピンチョン・コメント→「魅力的なトピックだ、文学的窃盗というのは」

「秘密のインテグレーション」*:
 子供たちの悪だくみ。これはけっこう好き。秘密基地と悪だくみ、ノスタルジーでもいいじゃないか。ピンチョン・コメント→「自分が書いたとは思えぬような部分がある。この二十年間のいつのことか、いたずら妖精の仲間がこの作品の中に入り込んで手を加えたものに違いない」

 照れ隠しのような、自虐のような、なんとも判断がつきかねるが、そういったものを笑えるコアな人向きの本かと。これ読むんだったら、一気に長編いっちゃった方がいいと思う。しかし、本当に一筋縄ではいかないな、ピンチョン。


recommend:
ジャンル分け不能小説。
トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』…やっぱり長編で。
ナボコフ『ロリータ』・・風俗小説かロード小説か。
メルヴィル『白鯨』…鯨学が半分を占める奇書。
チェスタトン『木曜日だった男』…ミステリのような、哲学のような。