読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『カリギュラ』アルベール・カミュ

フランス文学 ☆☆☆☆☆

[不可能!]
Albert Camus Caligula ,1944.

アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)

アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)

 月を手に入れようと手をのばしても、願いは叶わない。ならば?

 カミュによって『異邦人』『シーシュポスの神話』とともに、「不条理三部作」と位置づけられた戯曲。2007年に、小栗旬主演、蜷川幸雄演出で公演した舞台で、話題になった。ハヤカワのすごいと思うレーベル「ハヤカワ演劇文庫」から出ている。なにがすごいって、恐ろしくニッチであろう分野をレーベルとして、しかも文庫として出してしまうこの漢気。

 カリギュラは実在のローマ皇帝で、悪役の権化として名高いネロと並ぶ暴君とされている。いわゆる暴君の中の暴君を、本書は題材にしているわけだが、カミュはさすがカミュであり、ただの狂人としては描かない。カリギュラは、前後不覚の狂人ではなく、理性をもった上で、きわめて論理的に狂ってみせる人間として描かれる。

 月を手に入れたいと、手をどれだけのばしても、それは不可能だ。だけど、カリギュラは全力で手を伸ばす。持てる力の限りを尽くして、「不可能」に挑もうとする。あまりにちっぽけな人間は、世界に対してどれほどの抵抗力も持たないが、カリギュラには権力があった。だから権力を全力で使う。「死ね」と命令し、「国を飢饉にする」と言い放って実行する。

「私は論理に従うことに決めた。私には権力がある。論理がどれほど高くつくか、お前たちはみることになるだろう」

 命はどうでもいい。自分のものも、他者のものも、等しくどうでもいい。だから殺すし、自分の死もなんとも思わない。ここらへんのロジックの立て方がすごい。極めて論理的に正当で、ある意味平等精神だが、結果としてはやはり大いに狂っている。

 カリギュラは、世界に抵抗するひとりのちっぽけな人間だが、また他者へ降りかかる「災厄」ともなる。『ペスト』では、人々を強制的に、死の名のもとにまっ平らにする災厄は、「ペスト」という病気だった。病気はそれ自身の意思を持たない。またそれに立ち向かうことに、罪の意識はない。しかし、『カリギュラ』の場合、まっ平らにするのは「一人の人間」である。
 圧倒的質量をともなってせまってくる悪、恐怖に、人はどのように、どのような理由をもって立ち向かうか?人民のため、愛する人のため、利益、自分の存在のため。いろいろ理由はあるが、要するに自分の存在のために、他者の存在を殺すことに変わりはなくて、それぞれの人がそれぞれの選択をしていく。

 いろいろと壮絶だった。やっぱりカミュは好きだ。『異邦人』が、その短さのせいか、よくカミュ入門編のように言われるが、『カリギュラ』の方がいいと、個人的には思う。短い作品で、カミュらしい。倫理とか常識とかでごまかしきれない淵まで、穏やかに、しかし鋭く突きつめてくる。
世界は容赦もなく、呵責もなく。