スチュアート・ダイベック講演・朗読会
10月25日の曇る土曜日、スチュアート・ダイベック講演・朗読会に行ってきた。
作家や文学者の講演にいくのはひさしぶりだ。日本でダイベックのひそかな講演に、どれほどの人数が集まるのかまったくわからなかった。東大前のパン屋で、エビカツサンドとコーヒーを買って、銀杏がちらばる道を少し急いだ。
講堂は200人くらい入る半円形の教室で、8割ぐらいが埋まっていた。多すぎもせず、少なすぎもせず。ダイベックぽい、人の集まり方だと思う。柴田元幸氏は小さくて、ダイベックはのっぽ。この二人が並ぶのを見ながら、「シカゴ育ち」を読むのは、なんだか不思議な心地がした。
ダイベック、かっこうよかったですよ。しぶい、というのでもないし、紳士、というのともなんだか違う。シカゴのダウンタウンに住み、言葉と音楽を愛する、ロマンを大事にするおじさんだった。やわらかく、時おりユーモアを交えて、ゆっくりとした英語でしゃべる。書いている本と、同じ構成でできている作家だと思った。ううむ、やっぱり好きだダイベック。気負ってなくて、普通なんだよね、そこがいい。
講演内容っぽいものについて。
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[America:アメリカ]
ダイベックにとっては、2つのアメリカがあるらしい。1つは、アメリカン・ドリームに代表されるようなアメリカ、もうひとつは移民、ワーキング・ピープルによって構成されるアメリカ。
ダイベックが育ったのは後者のアメリカで、彼自身も、移民のアメリカにロイヤリティを持っている。移民の人々は、なじみきることができない。だから人生は断片となって漂流し、彼の作品も、the novel and the story、連作短篇になる。
「Baggage from the old country」、旧世界からの荷物、という言葉をダイベックは使った。トランクや本だけではなくて、記憶や物語も「荷物」であり、忘れられた記憶のために、彼は物語を書いているのだと。
[Memory:記憶、または過去のこと]
ダイベックは、「記憶」を物語と強く結びつけて考える。記憶するために、人は物語を欲していて、その因果律で人は「安心する」のだという。物語は、断片を順序立てて整理していく。
物語の伝えるメッセージはこうだ。「理解できる限り、希望はあるじゃないか」。一方で、順序だたない物語だってたくさんある。(20世紀以降は特にそうだ)そうした物語が伝えるメッセージは、「視点の移動によって、世界は変わる」ということ。移民の子孫であるダイベックは、マジョリティのアメリカ人とは違う目線で、自分の育った町を見ているから、こうした「視線の移動」「語り手と語られること」の関係を考えるのだろうか。
[reading:朗読]
「朗読会」というからには、朗読ももちろんある。読まれたのは、「シカゴ育ち」の中の「FARWELL:ファーウェル」、新しい詩集「それ自身のインクで書かれた街」の中から、「REVELATION:啓示」、「THE WINDY CITY:風の街」。ダイベックの英語は、語るというよりも、「うたう」ようだ。もともと、作家でなければ、音楽家になりたかったのだという。なるほど、彼の小説が詩みたいな秘密はそこにあったらしい。
「Street in their own ink それ自身のインクによって書かれた街」より一部紹介。
教会の尖塔では 十字架の代わりに
風車が回った。公共建築のてっぺんに
飛んできた下着がひっかかって それ以外は
何の旗もない中で 堂々と翻った。
そして消える時が来たら君はただ どこかの記憶を 欠いた
目抜き通りを選んで 襟を立て
風に背を向ければよかった
僕もあのとき 目を閉じて
くるくる舞う葉の渦に足を踏み入れたのだった。「風の街」