ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイ

[歴史と人の心の、巨大ジオラマ]
Лев Николаевич Толстой Анна Каренина,1877.

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈中〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈中〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈下〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈下〉 (岩波文庫)


 ドストエフスキーにして「非の打ち所のない傑作」と言わしめた、文学史上に不滅の名を残した作品。

 本書の思い出は、炎天下の夏の運転免許試験場。免許更新のために待っている間、最後のクライマックスを読んでいた。うだるような夏に極寒の地の物語を読むと、なんとも倒錯的な気分になることを知った日。あと少しのところで順番が回ってきたものだから、おかげで今年も免許の写真はひどいことになってしまった。

 さて本編。舞台は19世紀・ロシア。特に愛情もなくカレーニン氏と結婚したアンナが、青年将校ウロンスキーと、激烈な恋をする。母親の子供への執着、夫の面目の問題、うわさに花を咲かせる社交界。恋をし続けるアンナは、最後にどうにもならなくなって、列車に身を投げる。クラシックなメロドラマである。

 「恋について知りたいのなら、まずアンナ・カレーニナを読め」。親世代は、こんなことを言われていたらしい。私の父は、自分の好きな作品トップ3に、『アンナ・カレーニナ』を入れている。いわく、「恋する女性の心をここまで描いた作品は他にない」からだそうで。

 確かに、『イワン・イリイチの死』『クロイツェル・ソナタ』を読んだ時にも思ったことだが、トルストイの心理再現率のクオリティの高さには、舌を巻く。死んだことがないのに死ぬ人間の心情を、人を(おそらく)殺したことがないのに人殺しの心情を、そして男性であるのに女性の心情を描く。

 想像力の高さ、といっては平凡かもしれないが、ないものをあるように描くことの難しさは、おそらくそれを生業にする者ほど、身にしみて感じているはずだ。トルストイは、びっくりするほど秩序のある「小説」を作り上げることに関しては、圧倒的な才能を持っている。

 逆に、トルストイが好きでない人間もいる。それが私の母。いわく、「当たり前のことを書いてるだけじゃない」「整合性がありすぎておもしろくない」。

 男性が女性の心理がわかると褒め、女性はこんな当たり前のメロドラマはおもしろくないという。うちの両親を見ていてわかることは、男と女の心は、とうてい理解しあえないということだ。
 さて、こんな二人からうまれた、私の感想。トルストイのすごさは確かにある。それは歴史も語っている。社交界や恋する男女の心理のジオラマを、あれほどの長篇でまとめあげる才能は、ほかにはない。だけれども、トルストイの世界は、あまりに「完璧」であろうとしすぎる。世界観でいえば、ノイズのない「静寂の世界」なのだと思う。つまり、人の不合理な行動とか、適当さとか、冗談のような運のめぐりとか、そうした「世界のゆらぎ・複雑性」が見られない。しかしそういう「想定不能さ」こそ人間のおもしろさであると思っているわたしにとっては、やや『アンナ・カレーニナ』はクラシックでありすぎた。

 「人間の心理の、かなり精度の高いレシピ」をトルストイは持っているとして、それを「すばらしい」と評価するか、「それだけではない」と評価するか。これはもう、人間観、精神の自立性の問題になってくるのではないかと。

 若い時はドストエフスキーを好み、齢を重ねるとトルストイの良さがわかるらしい。というわけで、20代現時点の感想としては、「ジオラマの中はすばらしいが、むしろジオラマの外に興味がある」という感じ。でも、あの厚さを読みきらせるだけの求心力は、確かにあった。免許証を眺めるたびに、激烈に愛に生きた女性のことを思い出すんだろうなあ。


 そういえば、池澤夏樹は、『アンナ・カレーニナ』はあまり好きではないらしい。ごく最近に、彼のサイト「Cafe Impala」で、本書について話しているレビューを発見。

で、『アンナ・カレーニナ』の話。文豪トルストイの代表作、大傑作とみなが言う。
特に書き出しのところが有名だよ──「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである(木村浩訳)」
ところが、ぼくはあの話が苦手なんだ。
どうも波長が合わないというか、読んでいていちいち引っかかる。
引用した「幸福な家庭は……」というのだって、名文句として感心する前に、あったりまえだろと思ってしまう。」(13メロドラマですよ 『アンナ・カレーニナ』より)

 ううむ、母と同じことを言っている。でもその後で、フォローもしている。

前回『アンナ・カレーニナ』の悪口を書いて、その後でちょっと反省した。
トルストイは駄目な作家ではない。うますぎるんだ。
だから時として自分のうまさに陶酔しているような調子になって、それに気づいた読者はちょっと白ける。
まあ、ひねくれた読者だけだけどね。 (14 ルポルタージュの文学 『コーカサスのとりこ』)

 別に陶酔しているようには思えないけれど。どっちかというと、職人であろうとする感じだと思う。私もまた「ひねくれた読者」なのだろうか?


トルストイの著作レビュー:
『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』


recommend:
恋愛と、女性の心、そして社会との関係についての物語。
スタンダール『パルムの僧院』…恋と社交界。
ミランクンデラ『存在の耐えられない軽さ』…猫の名前がカレーニン。恋愛の話。
ロレンス・ダレル『アレクサンドリア四重奏』…恋は絡まりあって。