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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『狭き門』ジッド

[平行線]
Andre Paul Guillaume Gide La Porte Etroite ,1909.

狭き門 (新潮文庫)

狭き門 (新潮文庫)

「主よ、ジェロームとわたくしと二人で、たがちに助け合いながら、二人ともあなたさまのほうへ近づいていくことができますように。 ・・・ところがだめなのです。主よ、あなたが示したもうその路は狭いのです―――二人ならんでは通れないほど狭いのです」


 フランス生まれのノーベル賞作家による、愛にまつわる悲劇。

 この本を愛の物語として、人生の一冊に推す人が多いというので読んでみた。が、どうにも理解しがたかった。特にアリサの心情の狂気じみたストイックさに、「これが純愛なのか?」と首をひねる。どちらも精神的にどMなのがつらい。これを「純愛物語」として読むのはさっぱり解せないが、ある種の「恋の狂気、信仰としての恋愛」として読むとかなりおもしろい。


 本書は、厳格なプロテスタントの家に生まれたジッドの実体験がもとになっている。プロテスタント的な厳しい倫理が、恋愛において実行されるとどうなるか。

 主人公ジェロームと、従姉のアリサは、二人は互いに深く愛している。だけどその愛は平行線のように交わらない。ジェロームは、結婚したいというごく普通の「地上の愛」を求めたのにたいして、アリサは極度に精神的な「天上の愛」を求める。アリサはジェロームとの接触を拒む。ジェロームは、アリサを神格化して、踏み込めない。エロスか、タナトスか。二人の愛は交わらない。

 アリサの心情は、正直いってかなり分かりづらい。自分の現世の幸せよりも、別の幸せを求めるというその心。彼女が目指したものは、結局なんだったのだろうか?

 彼女は熱心に「神への愛」を力説するが、それは「キリスト教」というより「ジェローム教」だ。アリサは自分のエゴイズムを極力美しい形に仕立て上げた。彼女が求めたのは、結局は自分の理想であって、とてつもなく利己的だったように思える。

 アリサほど、本音が見えにくい人物もあまりいない。語る言葉と書く言葉は、倫理や神という言葉で隠されている。残された彼女の日記は、彼女の心が語られているかのように見えるが、彼女によって「うまく書かれている」と思われるページは破り捨てられた。

 なんともねじれた、愛の到着点。誰も悪くないのに、誰もが泣いている。


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