『ファウスト』ゲーテ
[魂の遍歴]
Johann Wolfgang Goethe FAUST.
- 作者: ヨハーン・ヴォルフガングゲーテ,Johann Wolfgang Goethe,池内紀
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2004/05
- メディア: 文庫
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人生をかけて描かれた、一大叙事詩。地上も天上も、老いも若さも、神話も現実もひっくるめて、旅をしながら求め続ける男の遍歴。
「ツァラトゥストラ」「魔の山」「ファウスト」が、いわゆる三大ドイツ文学と呼ばれているらしい(諸説あるが)。これは私に限ったことだろうが、ドイツ文学のこの重厚で哲学的な雰囲気、読む前に「よし、ドイツ文学を読むぞ!」という気合を必要とさせられる。2年越しで読書の合間あいまに読みながら、やっと読了。長かった。そして壮大だった。
どんなに知識をえても何もならないと嘆くファウスト博士が、悪魔メフィストフェレスの力を借りて、若さを取り戻し、世界や神話の領域に踏み込んで、願いを叶えていく。対価は「時よとどまれ、おまえは美しい」と言えば魂を悪魔がもらうというもの。ファウストの魂をかけて、「主」と「悪魔」は賭け事をする。
ファウスト:
「私のなかには二つの魂がある。……一つは欲望をむき出しにして、この世にしがみついている。もう一つは高く地上から飛翔して、天界のものたちにあこがれる。もし天と地を支配する霊がいるなら、黄金の高みから下りてきて、私を別世界へと連れて行け」
ファウストの貪欲さと生命力は見ものである。まさにこの言葉のとおり、二つの世界を股にかけて、望んでは実現していく(悪魔の力を借りてだが)。波と戦うために海岸線をぶんどったり、じいさまが若がえりして若い女性を口説いたり、魔女の祭りで大騒ぎしたり。
だけどファウストは不幸だ。求め続け、飢え続けた。
メフィストフェレス:
「何であれ願いつづけ、求めつづけてきた。ついぞ満ち足りたことのない男だった。千々に変わる姿を追い続けたあげく、哀れなやつめ、とどのつまりはできそこないの空虚な時を握り締めようとした」
人の望む力と、それを叶えようとうするエネルギーには、時折驚嘆させられる。人間の望みは底知れない。文明をここまでのしあげたのも、人の望む力によるのかもしれない。
ファウストとメフィストフェレスとの対話がおもしろい。このちょっととぼけた感じの悪魔がしゃべるのが楽しみだった。魔女の台詞も愉快。みんないきいきとしているけれど、特に悪役はいい(私は昔から、あんぱんよりバイキン派だ)。
第1部はまだ分かるが、第2部になると一気に世界がぶっ飛んで、何がなにやらもう分からない。ギリシャ神話や錬金術、西洋の物語におなじみのモチーフがずらり勢ぞろい。『ファウスト』が後世に与えた影響がいかに大きいか、あらためて感心する。
訳文については、導入編ということで口語訳の池内訳を読んでみた。森鴎外訳は、最初の1ページを見て撃沈した。
「昔わが濁れる目にはやく浮かびしことあるよろめける姿どもよ。再び我前に近づき来るよ。いでや、こたびはしと汝たちを捉へんことを試みんか」(森鴎外訳)
格調高くて格好いいんですけどね。これで数百ページは無理だった。
「さまざまな姿が揺れながらもどってくる。かつて若い頃、おぼつかない目に映った者たちだ。このたびは、しっかりと捕らえてみたい」(池内訳)
池内訳は、さらりと入ってくる感じ。ファウストらしさ、というのとは違うかもしれないが、最初のとっかかりとしては、まあまあかなと。次は、名訳と名高い高橋訳だろうか。また何年ごしになるかは未定。
悪魔やら契約やら魔法、錬金術、漫画やなんかでおなじみのモチーフがいっぱいあって、ファンタジーの元祖としてもおもしろい作品。男性的本能の象徴ともいえるファウストが、放蕩の限りを尽くして、最後に女性に救われるのは、なんか意味深。
ゲーテが人生をかけて作った本だ。読む側も人生をかけるくらいのつもりで、気長に書斎の住人に招いてみる。それにしても、あのよくわからない挿絵はどうにかならなかったのだろうか。あればっかりはセンス悪いと思うんだけどなあ。