ボヘミアの海岸線

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『ロリータ』ナボコフ

[わが腰の炎]
Vladimir Vladimirovich Nabokov Lolita,1955.

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)


 「ロリータ」は、たいていの人が読んだことがなくても、名前は知っている、そして名前から中身をある程度想像することができるという、文学の中でも一風変わった立ち位置を持つ。

 文学史上のモンスターとして丁寧に読み込むこともできれば、「ロリコン」風俗小説として読もうと思えば読めるという、なんとも度量がある本。
価値のある本というのは、何回読んでも発見があり、また個人によってそうとう読み方が変わる、「読み」の幅がはんぱないことであると、個人的には思っている(たとえば聖書しかり、マルクスしかり、ニーチェしかり)。この本も、そういう意味では間違いなく価値がある。


 「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。下の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。」

 これ以上ないくらい強烈な書き出しから始まるこの小説。主人公ハンバート・ハンバートは、自らを変態だと自負していて、読んでいるこちらもまったく異論をはさむ余地はない。いわゆる真性の変態らしく、純心で、外見と周りの評判はすこぶる良い。その外面とは裏腹に、少女にとち狂い、少女のために少女の母親に近づき、「ニンフェット」(ニンフの乙女)学なるものを提案する、わりと本気でどうしようもない男でもある。

 さて、ハンバートと、ロリータが、一緒にアメリカを横断する旅に出る。途中で謎の男の存在が登場し、そしてロリータとの別れ。……

 「迷彩をほどこした」と手記の筆者、ハンバートは語る。そう、まさに迷彩、複雑怪奇な模様が、本の間中にはりめぐらされている。
アメリカ旅物語でもあり、ミステリーでもあり、ロマンでもあり。読む年代、性別、時期によって、色がぐるぐる変わるのではないかなと思う。

 中年男による少女への性行為に、たぶんフェミニストは激しく怒る。一方で、ハンバートをうらやましく思う人間もいるだろう。愛への渇望に共感する恋愛主義者、孤独と別れに涙するロマンチスト。

 さて私はというと、自分でもいろいろ考えることが変わってしまい、なかなかつかみきれない。それぐらい、万華鏡のようにくるくると印象が変わるのだ。いちばん記憶に残っているのは「以上が私の物語である」という締めの部分へ向かうクライマックスのあたり。盛り上がって、ぶつりと切れる終わり方がとても好きだった。

 最後に、好きだったナボコフの言葉を引用する。

文学の教師というものは、とかく「作者の意図は何か?」とか、もっとひどいことには「こいつはいったい何が言いたいんだ?」というような問題を考えつきがちである。
 そこで言っておくが、私はたまたま、いったん本を書き出せば、そいつを終わらせてしまうという以外の意図を持たないタイプの著者であり……

 文学とは、個人がそれぞれに「個人の物語」を読む。逆を言えば、自分の中にないものを、人は他者や文学にも見いだせられない。


 「ロリータ」「ロリコン」「ゴスロリ」とかくこうしたイメージが先行しているが、中身はまったく違って驚いた。すごかった。もう一度、しばらくしたら、読み返したいと強く思った物語。


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