キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『ボヴァリー夫人』フローベール

[現実から逃げ切る]
Gustave Flaubert MADAME BOVARY , 1857.

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

難破船の水夫のように、生活の孤独のうえに絶望した目をさまよわせつつ、 はるか水平線の靄のうちに白い帆のあらわれるのをもとめていた。


 現実世界とうまく折りあいをつけられない女性が、夢の世界に生きて死んでいく物語。 じつに正統派の小説だ。

 当初、19世紀のフランスでは、主人公が不倫する描写が問題となって、作者が罪に問われたらしい。裁判の時、フローベールが「Madame Bovary, c'est moi/ボヴァリー夫人は私だ」といったことは、あまりにも有名だ。


 ボヴァリー夫人、エマみたいな人って、けっこう多いのではないかと思う。現実と理想の違いに悩み、逃げることを選ぶ人。 彼女の場合、逃げる先は恋とぜいたくな買い物だったが、 人によっては宗教だったり仮想空間だったりするわけで。


 人生はたいていが思うようにはいかない。さて、それにどう対応するか?
 うまく折り合いをつけるか、あきらめるか、別の世界に逃避するか。それは人それぞれの選択である。
 逃げる選択、それは先の見えない霧の道を走り続けるようなものだろうか。 帰ることもできなくて、ひたすら走って、疲れて、なにかにつまづいて転ぶ。そうしたらたぶん、簡単にはもう起き上がることができない。


 世界と折り合いをどうつけるか、これはとても興味のあるテーマである。個人的には、あんまり逃げる選択は好きではないのだが、でもわかる、と思った。
 エマのすごいところは、徹底的に現実から逃げ切ったところではないかと思う。 フローベール自身もまた、ほとんど外に出ることなく、小説を書き続けた。 冷静に、世界を少し遠くから見つめる視線を内側からのぞき見る。


recommend:
トルストイアンナ・カレーニナ』 (不倫、そして同じ結末)
ジッド『狭き門』 (神への愛に逃げる)