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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『地下室の手記』ドストエフスキー

[ひきこもる]
Фёдор Михайлович Достоевский  Записки из подполья , 1864.

地下室の手記 (新潮文庫)

地下室の手記 (新潮文庫)


地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

<なまけ者!>――これはもう一個の肩書きであり、使命であり、履歴でさえある。」
「ああ、諸君、ぼくが自分を賢い人間とみなしているのは、ただただ、ぼくが生涯、何もはじめず、何もやりとげなかった、それだけの理由からかもしれないのである。


 ロシアの大文豪、ドストエフスキーによる、ひきこもり文学。

 ネクラーソフ(名前までが冗談めいている)という人間が、地下室で書いた手記として、本書は構成されている。2+2=4の世界への疑問、人間は、理想のためだけに動くわけではなく、同じくらい破滅のためにも動くということ。人間は、矛盾に満ちている、という話。


 ドストを読んでいてしばしば仰天するのは、この弁舌、そして人の心のとらえ方。19世紀のロシアでも、自己のうちに閉じこもるタイプの人間は、こういう発想をしていたのだなあと、驚かずにはいられない。彼の描く心の葛藤は、現代日本、ひきこもる人びと、自尊心の強い若人の思考に、かなり強烈に訴えてくるだろうと思う。私も、読んでいてぎくり、とするところが少なくなかった。いきなりぶっ通しで何ページもしゃべりまくる熱狂は、さすがロシア文学、さすがドストといったところだが。

 主人公は、激烈な自尊心と、同じくらい激しい自己卑下の心を持っている。自分は賢い者であるが、同時にハエのような存在だと。
世界とうまく相容れることができない。この、誰でも一度はぶつかる壁に、本書はひとつの思考の結末を提示している。

 世界が悪いのか、自分が悪いのか、それともどちらでもないのか。 世界は悪い、自分も醜悪、だからひきこもる。


 本書は、「ドストの転換点」と呼ばれている。「貧しき人びと」以来の人道主義から一転して、人間に対する不信、絶望が渦を巻く。本書は非常に短いが、「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「悪霊」などの、ドストの大作と呼ばれる作品の片鱗がほのみえる。

世界が破滅するのと、このぼくが茶を飲めなくなるのと、どっちを取るかって?
聞かしてやろうか、世界なんか破滅したって、ぼくがいつも茶を飲めれば、それでいいのさ。

 ある意味極論の名言が印象的だった。
 この本、ニーチェ太宰治と同じくらい、感染力の高い本だと思う。これを多感な年頃の時に読んだら、ひどいシンクロ率だろうなあ。

 ニート、ひきこもりは、現代的な社会問題ではなく、むしろ普遍的な文学的問題かもしれない。


recommend
ニーチェツァラトゥストラ』 (感染力の高さ)
太宰治人間失格』 (自尊心と自己卑下の塊)