『八月の光』ウィリアム・フォークナー
彼はそれを考えて静かな驚きに打たれた――延びてゆくのだ、数知れぬ明日、よくなじんだ毎日が、延びつづいてゆくのだ、というのも、いままでにあったものとこれから来るはずのものは同じだからだ、次に来る明日とすでにあった明日とはたぶん同じものだろうからだ。やがて時間になった。
――ウィリアム・フォークナー『八月の光』
邪気眼、非モテ、地母神
八月なので『八月の光』を読もう、と気軽に思い立ったのがそもそもまちがいだった。血のにおいがただよう精神に正面から生暖かい吐息をふきかけられ、暑気払いどころか脳髄がのぼせかけた。
もっとも、フォークナーでさわやかな気持ちになったことはない。『アブサロム、アブサロム!』はとぐろを巻く自意識の濁流と衝撃の結末に身悶え、『響きと怒り』は初見殺し率85%(推定)の白痴オープニングで頓死しかけ、『八月の光』では主人公のあまりの邪気眼に黒歴史の門が開きかけた。
それでもフォークナーを読むのは、彼が描く生きづらさ、特に男の生きづらさについての描写がすさまじく、心をめった刺しにしてくるからだ。
南部、南部、ヨクナパトーファ、なんという修羅の土地。
- 作者:フォークナー
- 発売日: 1967/09/01
- メディア: 文庫