『ヨブ記』
しかし わたしは全能者に語りたい、わたしは神に抗議したいと思うのだ。——『ヨブ記』
理不尽な神に抗う
神様はあなたたちの行いをすべて見ています、だからいい子でいるのですよ、そうすれば神様は神の国へ迎えいれてくれますという言葉が、百歳のシスター・イメルダの口癖だった。教会の幼稚園にかよっていたころ、いたずらをすると百合に囲まれたマリア像の前でひざまずき、わたしたち悪童どもは許しを乞いたものだった。
神への畏怖は教育に組みこまれていたが、五歳のわたしにとって神の千里眼への恐れや天国への憧れはあまりなく、むしろまばゆい五月の木漏れ日の下で、わたしは神の存在を信じた。こんなに美しい世界をつくれるのは、神だけではないかと。
無邪気だった。わたしの目には、血で血を洗う闘争も、緑色の目をした嫉妬も、力を欲する弱さも、愛を求める咆哮も、望んで叶わぬ痛みと悲しみも、痛みと怒りの連鎖と負債の継承も、なにも見えていなかった。
人間はいつかおのれと世界の汚濁を見る。他者からの暴力に驚き、傷と痛みにおののいたとき、神を信じる人間はとまどう。
なぜ、すべてを見とおす全能の神がいるなら、これほどの悪と苦しみがあるのだろうか?
なぜ、誠実に生きようとしている自分よりも、他者を利用する悪徳が栄えるのだろうか?
神はつねに正しいから災厄をもたらすのか、それとも神は誤ちを犯すのだろうか?
すべてを神に与えられ、すべてを神に奪われた男ヨブは、神を心の底から信じながら抗議し挑戦するという、およそ人類には不可能なことをやってのけた。
- 作者: 関根正雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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