ボヘミアの海岸線

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『タイガーズ・ワイフ』テア・オブレヒト

 祖父はようやく口を開いた。「分かるだろう、こういう瞬間があるんだ」
 「どんな瞬間?」
 「誰にも話さずに胸にしまっておく瞬間だよ」
 ——テア・オブレヒト『タイガーズ・ワイフ』

トラの嫁と、不死身の男

 まずはわたしの話からはじめよう。曾祖父が曾祖母と一緒に住みはじめたとき、曾祖母にはすでに子供——わたしの祖父がいた。地元の名士であり信頼の厚い弁護士であった曾祖父が、生涯いちども掃除をせず風呂に数年に1回しか入らず、子供を餓死させかけた野生の曾祖母を養っていたのか、子供の父親が誰なのか、誰も知らなかった。さまざまな憶測が飛びかった。子供の父親は敵国の兵士だったとか、子供の父親と弁護士先生が親友だから引き取ったとか、政治取引の犠牲になったのだとか。社会的に認められた男が籍もいれず、人間よりは獣に近い女とその連れ子を育てることは尋常ではない。祖父はなにかを、あるいはすべてを知っていたようだった。しかし彼はあっぱれに逃げきり、すべてを墓の下に持っていった。生きているわれわれには、物語と伝説だけが残った。

 良いものも悪いものも、人生で極端なことに困惑すると、人々はまず迷信にその意味を求め、ばらばらの出来事をつなぎ合わせることで何が起きているのか理解しようとする、ということも学んだ。どれほど秘密が重大で、きっぱりした沈黙が不可欠でも、打ち明けたい気持ちを持った人は必ずいるのだし、解き放たれた秘密はとんでもない力になるのだと学んだ。

タイガーズ・ワイフ (新潮クレスト・ブックス)

タイガーズ・ワイフ (新潮クレスト・ブックス)

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