ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『ノートル=ダム・ド・パリ』ユゴー|激情うごめく失恋デスマッチ

…こうなるともう、ノートル=ダム大聖堂の鐘でもなければ、カジモドでもない。夢か、つむじ風か、嵐だ。音にまたがっためまいだ。…こんな並外れた人間がいたおかげで、大聖堂全体には、なにか生の息吹みたいなものが漂っていた。

ーーヴィクトル・ユゴーノートル=ダム・ド・パリ

この鐘の音こそ、彼がきくことのできるただ一つの言葉だったし、宇宙の沈黙を破ってくれるただ一つの音だった。

古い友人が結婚してパリに移り住んだので、祝いにパリを訪れた。祝いの硝子と製氷機(ヨーロッパの製氷機は使い物にならないらしい)とともに、ユゴーの『ノートルダム=ド・パリ』を鞄に放りこんだ。

文庫化して手に取りやすくなってNHK『100分de名著』で紹介されたにもかかわらず、いまだ「みんな知ってるけど読む人はあまりいない」本書は、正気ではなかなか読む気にならず、異国で過ごす非日常で読むぐらいがちょうどいいと思ったからだった。このもくろみは当たっていて、私はパリでおおいに驚き、頭を抱え、怒りと呆れでパリ血糖値が上がり、結末で叫び、愛と呼ぶにはあまりにも醜悪で激烈な感情のヘドロに飲まれることになった。

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

 

  

ノートル=ダム・ド・パリ(下) (岩波文庫)

ノートル=ダム・ド・パリ(下) (岩波文庫)

 

 

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「海外文学・世界文学ベスト100冊」は、どの1冊から読み始めればいいか

#2019年、編集済み。

「海外文学の名作100冊」を分類する

世界文学・海外文学は広大な海あるいは原野のようだ。それゆえ、初心者にとって地図がとても見づらい。「面白い」「古典」「話題になっている」という定性的な物差しはたくさんあるけれど、それだけで歩くにはあまりにタイトルの数が多すぎる。さらに「面白い」の基準は人それぞれなので、リストは無数にある。ほんのり海外文学に興味はあるけれど、どの羅針盤を使えばいいのかわからない人が「とりあえず海外文学ベストならまちがいないのでは」とベスト荒野に向かい、アチャス&エペペする姿を何度も目撃してきた。

というわけで、ノルウェー・ブック・クラブが2002年に公表した”Top 100 Books of All Time”「世界最高の文学100冊」を「値段」「ページ数(読了までの長さ)」「入手可能さ」という定量的な指標で分類してみた。本リストを選んだのは、おそらく日本で最もブックマークがついている海外文学ベスト100のリストだからだ。わたしの好みど真ん中のものもあれば、外れているものもある(わたしの個人ベストはこちら)。

ノルウェー・ブック・クラブ「世界最高の小説100冊」:世界54カ国の著名な作家100人の投票によって選ばれた。

お金がないけれど時間がある学生は「値段」を見ればいいし、ふだん本をあまり読まないのでいきなり長いものはつらいという人は「かかる時間」を基準にして選べばいい。宵越しの金は持たないからとにかく面白いものを、という快楽主義者は私の独断による一言を眺めつつ題名の格好よさで選んでみてもいいだろう。
ようは、その時の気分にあった本を鼻歌でも歌いながら選べばいい。必要なのは、多様な指標とそれに沿った分類、選択肢を増やすことだ。

目次

  1. 文庫1冊で読める作品
  2. 文庫2冊以上で読める作品
  3. ハードカバーで読める作品
  4. 絶版の作品
  5. 未邦訳の作品

すべての本リストは、本文の最後にまとめて記載している。

表記の基準

  • 出身国:言語 |値段 | ページ数 | 入手可能さ | 翻訳の年代|

 書籍データはAmazon.co.jpのカタログに準拠。複数社から翻訳が出ているものについては、総合評価が最も高いものを選んでいるが、ものによっては次点を採用した(理由については各コメント参照)。

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『メダリオン』ゾフィア・ナウコフスカ|人間が人間にこの運命を用意した

さまざまなところから死亡の知らせが届く。…人びとはあらゆる方法で死んでいく、ありとあらゆるやりかたで、どんなことも口実にして。もう誰も生きていないし、しがみつくもの、守り通すものはないように思えた。死はそれほどに偏在していた。−−ゾフィア・ナウコフスカ『メダリオン

人間が人間にこの運命を用意した

小中学生だった頃の記憶はおぼろげになりつつあるが、母が第2次世界大戦のドキュメンタリーをよく見ていたことはよく覚えている。夕食の後に「パリは燃えているか」が流れると、子供たちはテレビの前に集まった。

絶滅強制収容所のことを知るほど、当時のわたしは驚きとまどった。人間はこんなことができてしまうのか? ここまで人を殺せる感情ってなんだ? わたしにもそういう一面があるのか? この混乱と問いは続き、「人間の心を奥底までのぞきたい」探究心の源流となった。本書『メダリオン』は、あの時の混乱を思い出させる。

メダリオン (東欧の想像力)

メダリオン (東欧の想像力)

 

 

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『侍女の物語』マーガレット・アトウッド|「男の所有物」となった女の孤独な戦い

わたしたちは二本の脚を持った子宮にすぎない。聖なる器。歩く聖杯。
−−マーガレット・アトウッド侍女の物語

 

2017年、Huluがディストピア小説侍女の物語』をドラマ化して人気を博しているという。トランプ政権になって『1984年』とともに『侍女の物語』が平積み現象が起きてからすぐドラマ化されたことになる。

 「映像化したら迫力があるだろう」と思っていたから、さっそくトレーラーを見てみた。壁に揺れる絞首の縄、義務をひたすら説く監視役の老女、胃がぎりぎりするような不安と閉塞感、なにより侍女たちが着る服の一面の「赤」が鮮烈でえぐい。 彼女たちがまとう赤は女の色、血の色、妊娠の徴の色、怒りの色、警告の色であり、彼女たちの姿を見るごとに心が落ち着かなくなる。

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

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『密林の語り部』バルガス=リョサ|物語の力、語りの力

<<私たちと違って、語り部のいない人々の生活は、どんなにみすぼらしいものだろう>>

−−バルガス=リョサ『密林の語り部

物語は救う

炎天下の7月末、室内で1日中ただ座っているべし、連絡を待て、ただ待て、という業務命令を受けたので、リョサリョサ『密林の語り部』を読むことにした。

カバー絵のアンリ・ルソーは私が愛する画家のひとりで、彼はいちども南国やジャングルに足を踏み入れたことがないまま、パリの植物園の写生と雑誌と想像力だけで、どこかにありそうでない密林の世界を描いた。リョサの小説はルソー絵画に似ているかもしれない。彼もまた、どこか明るくロマンティックな密林を描くように思える。

密林の語り部 (岩波文庫)

密林の語り部 (岩波文庫)

 
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『パラダイス』トニ・モリスン|楽園で育つ殺意

彼を怒らせたのは、この街、これらの住民たちの何だろう? 彼らが他の共同体とちがうのは、二つの点だけだ。美しさと孤立。
−−トニ・モリスン『パラダイス』

楽園で育つ殺意

自分がいる共同体に不満を抱く人間、なじめない人間がとりうる選択肢は3つある。

共同体の中で、自分が生きやすいように変化をうながす。共同体を出て、別の共同体に所属する。共同体を出て、新しく自分たちのための共同体を作る。

個人の場合は「共同体を出て別の共同体に所属する」がいちばん楽だが(転職などはまさにそうだ)、ある規模の集団になると、最初か最後の選択肢を選ぶことが多いように思える。

『パラダイス』の登場人物たちは、最後の選択肢を選んだ人たちだ。彼らは黒人で、白人が優位に立つアメリカの町を離れて、自分たちだけの楽園を作ろうとした。

黒人による黒人のための町。皆が幸せで争いがなく、平等で平和なパラダイス。

パラダイスはパラダイスでなければならない。だから異端者は排除しなくてはならない。

パラダイス (ハヤカワepi文庫) (トニ・モリスン・セレクション)

パラダイス (ハヤカワepi文庫) (トニ・モリスン・セレクション)

 

 

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『大いなる不満』セス・フリード|人間は不合理

それがゆえに、諸君のような若き科学者の多くは、ドーソンの研究に人生を捧げるようになっていく。その主題を扱う長く感傷的な博士論文によって大学図書館はどこも溢れかえらんばかりになっており、多くの論文は取り乱したラブレターのように書かれる傾向にある。
−−セス・フリード『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』

人間は不合理

21世紀になってからというもの、ますます人類は「われわれは不合理で非合理な生き物である」というアイデンティティを強めているように思える。

行動心理学や未来予測などの研究をすればするほど「人間ってぜんぜん合理的じゃないよね」という結果が出てくるし、アメリカはリーマン・ショックやトランプ政権など不合理不条理冗談のような世界をリアルタイムで経験している。

だから、セス・フリードのような若手アメリカ人作家が、ばかばかしいほどの人間の不合理っぷり、それによってもたらされる悲劇を明るく描いているのは、妙な納得を覚える。

大いなる不満 (新潮クレスト・ブックス)

大いなる不満 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

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『囚人のジレンマ』リチャード・パワーズ|人類全体の世話人

「信じられるか、この世界? 愛するしかないよな」
−−リチャード・パワーズ囚人のジレンマ

人類全体の世話人

誰かを信じるには、それなりの時間と勇気を必要とする。それに比べて、不信感を抱くのはもっとずっとお手軽だ。疑いを抱くことも、自分を守るもっともらしい理由を見つけることも、利用することも、裏切ることも、少しの罪悪感を犠牲にするだけで事足りる。

裏切られた人間は、報復のために、別の誰かを犠牲にする。自分は傷つけられたから誰かを傷つけてもいい、その権利がある、利口な人間なら裏切るべきだ、と口にしながら。そうして、不信感は世界にあっというまに蔓延していく。

不信感まみれになった世界で、なお「他者を信じよう」「この世界を愛そう」とする人間は、なんと呼ばれるだろうか? 

お人好し、理想主義者、ネギをしょったカモ、愚か者、狂人。そして、ホブソン一族の父。

囚人のジレンマ

囚人のジレンマ

 
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『あなたを選んでくれるもの』ミランダ・ジュライ|人間はいやらしい、だが、それでいい

もし自分と似たような人たちとだけ交流すれば、このいやらしさも消えて、また元どおりの気分になれるのだろう。でもそれも何かちがう気がした。結局わたしは、いやらしくたって仕方がないしそれでいいんだ、と思うことに決めた。だってわたしは本当にちょっといやらしいんだから。ただしそう感じるだけではぜんぜん足りないという気もした。他に気づくべきことは山のようにある。−−ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』

人間はいやらしい、だがそれでいい

 ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』を読んだ時、この人はなんて自分や他人のいやらしいところ、細かい行動や感情の機微をすくいとるのがうまいんだろう、と驚いた記憶がある。

人間は誰しも自分の汚いところや弱いところ、いやらしいところは見たがらない。語らないか、もっともらしい理由をつけるか、記憶を改竄するか、きれいさっぱり忘れてしまうか。

小説家も例外ではない。小説を読む醍醐味のひとつは、作者がなにを暴きなにを隠そうとしているか、を読み説いていくことだと思っている。その観点でいえば、ミランダ・ジュライは素直な作家だ。みずから「自分はいやらしい」と言ってしまっているのだから。

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

 
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『ハザール辞典』ミロラド・パヴィチ


 ハザール族とは、大昔に世界の舞台から姿を消した古い民族である。その諺のひとつに言うーー霊魂にも骸骨がある、それは思い出でできていると。

ーーミロラド・パヴィチ『ハザール辞典』

幻の王国、奇想、召喚魔法

セルビアの作家ミロラド・パヴィチは、中世に生きていたらまちがいなく錬金術師か魔術師になろうとしていただろう。彼の作品は「召喚魔法」である。実在した幻の国、架空の物語、悪魔、転生する人間たちの物語という点と点とつなぎあわせ、巨大な「世界」を召喚しようとする。


ハザール事典 女性版 (夢の狩人たちの物語) (創元ライブラリ)

ハザール事典 女性版 (夢の狩人たちの物語) (創元ライブラリ)

 

ハザール事典 男性版 (夢の狩人たちの物語) (創元ライブラリ)

ハザール事典 男性版 (夢の狩人たちの物語) (創元ライブラリ)

 

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『アメリカ大陸のナチ文学』ロベルト・ボラーニョ|継承されたナチズム


その教訓は明白だ。民主主義の息の根を止めなければならない。なぜナチはあれほど長生きなのか。たとえばヘスだが、自殺しなければ、百歳まで生きただろう。何が彼らをあれほど生きながらえさせるのか。何が彼らを不死に近い存在にしてしまうのか。流された血? 聖書の飛行? 跳躍した意識?

ーーロベルト・ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』

繼承されたナチズム

ギリシャのアテネに滞在中、厳戒態勢に遭遇したことがある。町の中央にあるシンタグマ広場に向かおうとしたが何度試しても鉄道が駅を通過してしまう。駅員に理由を尋ねても「Go home. Go home」と地球外生命体のように繰り返すばかりなのでTwitterで検索してみたところ、極右政党「黄金の夜明け」の信望者が対立者と衝突を起こし、爆発事件を起こし、広場が路上も地下鉄も完全封鎖されていることを知った。

「黄金の夜明け」はネオナチ政党とも呼ばれ、強烈なナショナリズムと排他主義を掲げ、経済状態が極めて厳しいギリシャで議席を伸ばしている。

21世紀になっても、ナチ思想は生き延びている。ギリシャでも、アメリカ大陸でも。


アメリカ大陸のナチ文学 (ボラーニョ・コレクション)

アメリカ大陸のナチ文学 (ボラーニョ・コレクション)

 

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『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ|愛は五本足の怪物


「だめよ」と彼女はほほえみながら言った。「だめ」
「そうしたら何もかもが変わるんだが」とハンバート・ハンバートが言った。

ーーウラジミール・ナボコフ『ロリータ』

愛は五本足の怪物

はじめて『ロリータ』を読んだのは10年前、海外文学を読みはじめてまもない頃だった。「文庫で値段が手頃&名作」というわかりやすさから手にとり、あの衝撃的な書き出し「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎」の洗礼を受けた。

この書き出しは、われらが変態ハンバート・ハンバートの露悪めいた恍惚、純度の高い狂信を凝縮した名文で、10年たった今もほぼ変わらずに、口蓋を三歩も百歩も叩いてくる。ロ。リー。タ。


ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

 

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『八月の光』ウィリアム・フォークナー

彼はそれを考えて静かな驚きに打たれた――延びてゆくのだ、数知れぬ明日、よくなじんだ毎日が、延びつづいてゆくのだ、というのも、いままでにあったものとこれから来るはずのものは同じだからだ、次に来る明日とすでにあった明日とはたぶん同じものだろうからだ。やがて時間になった。
――ウィリアム・フォークナー『八月の光』 

邪気眼、非モテ、地母神

八月なので『八月の光』を読もう、と気軽に思い立ったのがそもそもまちがいだった。血のにおいがただよう精神に正面から生暖かい吐息をふきかけられ、暑気払いどころか脳髄がのぼせかけた。

もっとも、フォークナーでさわやかな気持ちになったことはない。『アブサロム、アブサロム!』はとぐろを巻く自意識の濁流と衝撃の結末に身悶え、『響きと怒り』は初見殺し率85%(推定)の白痴オープニングで頓死しかけ、『八月の光』では主人公のあまりの邪気眼に黒歴史の門が開きかけた。

それでもフォークナーを読むのは、彼が描く生きづらさ、特に男の生きづらさについての描写がすさまじく、心をめった刺しにしてくるからだ。

南部、南部、ヨクナパトーファ、なんという修羅の土地。

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)

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ガイブン初心者にオススメする海外文学・ハードカバー編

溶けていく左足を回収しながらほうほうのていで巣に帰り、ぐうたらと引きこもって蜜酒を飲んでいたら、今年はまだ夏休みの自由研究をしていないと気がついた。そういうわけで、以前に書いた「ガイブン初心者にオススメする海外文学・文庫編」のハードカバー編である。

なぜわたしは海外文学のハードカバーを読むか

ばかなの? というぐらい当たり前のことを書くが、ハードカバーは文庫に比べて高い。特に翻訳小説は、小数部数、初版どまりですぐ絶版、翻訳権と翻訳料の支払いエトセトラという五十重苦を背負っているため、最低でも2000円、平均で3000円ほどする。

※五十重苦

よく訓練されたガイブン勢は、名菓ヒュアキントスまんじゅうのために5000円、古本屋で見つけたら1週間の食費を奉納して確保すべしと言われていたマルセル・シュオッブの復刊全集に1万5000円など、ガイブン租(国書刊行税)・庸(白水税)・調(作品社税)を喜んで支払うが、彼らがいう「安いよ! お得だよ!」は、ガイブン国(北欧諸国に匹敵する)物価水準なので信じてはいけない。


正直なところ、ちょっと興味がある勢はまず文庫からいくのが、お手軽でいいと思う。だが、文庫沼は限られている。ほぼすべての海外文学はハードカバーで刊行され、運がよければ文庫化される。ハードカバー沼のみに存在するすばらしい書物はたくさんある。

なぜわたしが資金と時間をかけて満身創痍になってまで読むのかといえば、これらの本はわれわれの想像力を超えた世界、驚異、深淵を見せてくれるからだ。手を伸ばさなければ知らない驚異の世界がハッピースマイルの顎を開けて待っている。まずは文庫、そしてさらにおもしろいと思ったら、ぜひハードカバー沼にまで足をつけてみてほしい。こっちの沼は甘いよ。


さて、いつもどおり前置きが長くなったが、本編である。ハードカバー編は、文庫編の基準を踏襲して選んだ。

  • すぐに手に入る(絶版でない)※2015年8月現在
  • 2000円-3000円台(ガイブン国基準で安い)
  • 訳がわりと新しい(読みやすい)
  • 長すぎない
  • 本ブログで☆405をつけた、わたしが好きな本

社畜クラスタ必読

アメリカン・マスターピース 古典篇 (柴田元幸翻訳叢書)

アメリカン・マスターピース 古典篇 (柴田元幸翻訳叢書)

アメリカ文学。翻訳妖怪シバニャン先生が訳したアメリカの古典中の古典を集めた1冊。特にメルヴィル「書写人バートルビー」とホーソーン「ウェイクフィールド」は「外れてしまった人たち」の物語で、記録と記憶に強烈な爪痕を残していく。バートルビー症候群なる重大な病があり、読んだからには会社で「そうしない方が好ましいのですが」と言わずにはおれなくなる。カフカ『変身』とともに、社畜クラスタは必読の書。

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『イザベルに ある曼荼羅』アントニオ・タブッキ

死とは曲がり道なのです、死ぬことはみえなくなるだけのことなのです。

アントニオ・タブッキ『イザベルに ある曼荼羅』

後悔という不治の病

この世で生きることはあみだくじのようなもので、わたしたちはおびただしい選択をくりかえしながら、人生という不可逆の線上を走っている。

右か左か、寝るか起きるか、魚料理か肉料理か、笑うか怒るか、こんばんはかさようならか、この手を取るか取らないか。ほとんど無意識のうちに、わたしたちは息を吸うごとになにかを選び、なにかを捨てている。

岐路は目の前にあるときは岐路とわからず、通りすぎてしばらくして肩越しに振り返り、それと気づく。「あの時ああしていれば」という思いを人はを「悔恨」と呼び、アントニオ・タブッキは「帯状疱疹」と書いた。これは、「なにもかも帯状疱疹のせいだ」と書き残して死んだ男の、病と治癒の物語である。

「わたしはよく、こんな風に思うのです。帯状疱疹というのは、どこか悔恨の気持ちに似ているとね。わたしたちのなかで眠っていたものが、ある日にわかに目をさまし、わたしたちを責めさいなむ。そして、わたしたちがそれを手なずけるすべを身につけることによって、ふたたび眠りにつく。でも、けっしてわたしたちのなかから去ることはない」 アントニオ・タブッキ『レクイエム』

イザベルに: ある曼荼羅

イザベルに: ある曼荼羅

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