ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『イザベルに ある曼荼羅』アントニオ・タブッキ

死とは曲がり道なのです、死ぬことはみえなくなるだけのことなのです。

アントニオ・タブッキ『イザベルに ある曼荼羅』

後悔という不治の病

この世で生きることはあみだくじのようなもので、わたしたちはおびただしい選択をくりかえしながら、人生という不可逆の線上を走っている。

右か左か、寝るか起きるか、魚料理か肉料理か、笑うか怒るか、こんばんはかさようならか、この手を取るか取らないか。ほとんど無意識のうちに、わたしたちは息を吸うごとになにかを選び、なにかを捨てている。

岐路は目の前にあるときは岐路とわからず、通りすぎてしばらくして肩越しに振り返り、それと気づく。「あの時ああしていれば」という思いを人はを「悔恨」と呼び、アントニオ・タブッキは「帯状疱疹」と書いた。これは、「なにもかも帯状疱疹のせいだ」と書き残して死んだ男の、病と治癒の物語である。

「わたしはよく、こんな風に思うのです。帯状疱疹というのは、どこか悔恨の気持ちに似ているとね。わたしたちのなかで眠っていたものが、ある日にわかに目をさまし、わたしたちを責めさいなむ。そして、わたしたちがそれを手なずけるすべを身につけることによって、ふたたび眠りにつく。でも、けっしてわたしたちのなかから去ることはない」 アントニオ・タブッキ『レクイエム』

イザベルに: ある曼荼羅

イザベルに: ある曼荼羅

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『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ

「しかし、霧はすべての記憶を覆い隠します。よい記憶だけでなく、悪い記憶もです。そうではありませんか、ご婦人」
 
「悪い記憶も取り戻します。仮に、それで泣いたり、怒りで身が震えたりしてもです。人生を分かち合うとはそういうことではないでしょうか」
カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

埋められた記憶

人間はなぜこうも傷つきやすい生き物なのだろうか。生物としてはもはや非合理といえるほどあっけなく、われわれ人類はささいなことで傷つき、痛みを抱えて苦悶する。

一方で、人間はなぜこうも忘れやすい生き物なのだろうか、とも考える。あの日の燃える喜びも空の青さを呪う激痛も、そのままに抱え続けられる人は多くない。しかしだからこそ人間は、傷つきやすいというこの致命的な長所を抱えながらも生き延びられたのだ、とも思う。

忘却は喪失でもあり、恩寵でもある。

忘れられた巨人

忘れられた巨人

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電子書籍(Kindle)で読めるオススメ海外文学

ここのところ、海外文学を読んだことがない人に海外文学を読んでもらう方法を模索していて、こんな記事を書いた。



この記事を読んだ人から「本を置く場所がないし持ち運びが重いから、電子書籍の海外文学リストが欲しい」というリクエストをもらったので、「電子書籍(Kindle)で読めるオススメ海外文学」リストをつくってみた。

いわゆる名作と呼ばれる王道どころからKindle化する傾向にあるので、今回のリストは有名なタイトルが多め。中でも、わたしがおもしろいと思うものを重点的に選んだ。

  • チャールズ・ディケンズ『ピクウィック・クラブ』
  • ハーマン・メルヴィル『白鯨』
  • エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
  • ジェイン・オースティン『高慢と偏見』
  • エドガー・アラン・ポー『黒猫/モルグ街の殺人』
  • セルバンテス『ドン・キホーテ』
  • アゴタ・クリストフ『悪童日記』
  • カフカ『変身』
  • アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』
  • チェスタトン『木曜日だった男 一つの悪夢』
  • レフ・トルストイ『イワン・イリイチの死』
  • プルースト『失われた時を求めて』
  • レーモン・ラディゲ『肉体の悪魔』
  • サン=テグジュペリ『夜間飛行』
  • アントン・チェーホフの作品
  • ヒョードル・ドストエフスキーの作品
  • カート・ヴォネガット・ジュニアの作品
  • ダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイクガイド」シリーズ
  • ウィリアム・シェイクスピアの作品
  • ギリシャ神話
  • ケルト神話
  • 沼野充義『世界は文学でできている』
  • ウラジミール・ナボコフ『ナボコフの文学講義』
  • 米原万里『打ちのめされるようなすごい本』
  • 須賀敦子『遠い朝の本たち』
  • これまでにつくった海外文学リスト
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『ヨブ記』

しかし わたしは全能者に語りたい、わたしは神に抗議したいと思うのだ。——『ヨブ記』

理不尽な神に抗う

神様はあなたたちの行いをすべて見ています、だからいい子でいるのですよ、そうすれば神様は神の国へ迎えいれてくれますという言葉が、百歳のシスター・イメルダの口癖だった。教会の幼稚園にかよっていたころ、いたずらをすると百合に囲まれたマリア像の前でひざまずき、わたしたち悪童どもは許しを乞いたものだった。

神への畏怖は教育に組みこまれていたが、五歳のわたしにとって神の千里眼への恐れや天国への憧れはあまりなく、むしろまばゆい五月の木漏れ日の下で、わたしは神の存在を信じた。こんなに美しい世界をつくれるのは、神だけではないかと。

無邪気だった。わたしの目には、血で血を洗う闘争も、緑色の目をした嫉妬も、力を欲する弱さも、愛を求める咆哮も、望んで叶わぬ痛みと悲しみも、痛みと怒りの連鎖と負債の継承も、なにも見えていなかった。


人間はいつかおのれと世界の汚濁を見る。他者からの暴力に驚き、傷と痛みにおののいたとき、神を信じる人間はとまどう。

なぜ、すべてを見とおす全能の神がいるなら、これほどの悪と苦しみがあるのだろうか?
なぜ、誠実に生きようとしている自分よりも、他者を利用する悪徳が栄えるのだろうか?
神はつねに正しいから災厄をもたらすのか、それとも神は誤ちを犯すのだろうか?

すべてを神に与えられ、すべてを神に奪われた男ヨブは、神を心の底から信じながら抗議し挑戦するという、およそ人類には不可能なことをやってのけた。

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

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『カンポ・サント』W.G.ゼーバルト|傍らにいるのだ、死者は

写真が人の胸をあれほど衝くのは、そこからときおり不思議な、なにか彼岸的なものが吹き寄せてくるからである。——W.G.ゼーバルト『カンポ・サント』

傍らにいるのだ、死者は

ゼーバルトは、どの町を歩いていてもいずれ第二次世界大戦の瓦礫に漂着する、希有な難破の才能をもっている。彼は旅にまつわる散文をいくつか残しているが、彼が訪れた土地すべてが地続きのひとつの荒野であるような気がしてならない。

陰鬱な英国の海岸も、陽光ふりそそぐ南のコルシカ島も、第二次世界大戦の瓦礫の山も、彼の筆にかかればすべてが「死者がざわめくモノクロームの追憶」となる。ゼーバルトは端から見れば観光客だろうけれど、彼は観光客が見ているものを見ていない。アウステルリッツとは彼だったのだと思い知る。

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『ワインズバーグ・オハイオ』シャーウッド・アンダソン

自分以外のものの声が、人生には限界がある、とささやきかけてくる。自分自身と自分の将来について自信に溢れていたのが、あまり自信のない状態に変る。もしそれが想像力ゆたかな青年ならば、一つの扉が無理矢理こじあけられ、生まれてはじめて眼にする世界の姿が見えてくる。  シャーウッド・アンダソン『ワインズバーグ・オハイオ』

自意識の箱庭

人間は、見たい自分像を見る。有能な自分、愛され尊敬される自分、社会的名誉を得る自分、異性を惹きつける魅力を持つ自分、凡庸な人たちとは異なる“変わっている自分”を切望する。

だけど現実はだいたいその理想とは違っていて、わたしたちは英雄でも姫君でもないという現実が目の前に立ちはだかる。諦めて現実を受け入れる人たちもいれば、理想のために邁進する人もいるし、目の中に丸太を入れて自分の見たい幻想をこそ「真実」と呼ぶ人たちもいる。シャーウッド・アンダソンは、彼らにとって真実を求める「グロテスクな人たち」の自意識と生態を、架空の田舎町ワインズバーグに書きこんだ。

ワインズバーグ、オハイオ (新潮文庫)

ワインズバーグ、オハイオ (新潮文庫)

ワインズバーグ・オハイオ (講談社文芸文庫)

ワインズバーグ・オハイオ (講談社文芸文庫)

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『いちばんここに似合う人』ミランダ・ジュライ

あなたは悪くない。もしかしたらそれは、わたしがずっと誰かに言ってあげたかった、そして誰かに言ってほしかった、たった一つの言葉なのかもしれなかった。 ミランダ・ジュライ「共同パティオ」

孤独の黒歴史

なぜわたしはわたしの人生の主人公なのに、こうもうまくいかないのだろう。運のせいだし、占いの結果が良くなかったからだし、残りのすべては社会と別れた恋人のせいだ。どうしてだろう、ほかの人はみんな幸せそうなのに。わたしは悪くない。君は悪くない、すべて受けとめる、愛していると言ってほしい。イケメンに優しくしてほしい。結婚したい。ぬこかわいい。

『いちばんここに似合う人』を日本ぽく表現してみると、こんな感じになるだろうか。孤独を感じるすべての人の心をえぐりにかかってくる短編集である。天井知らずの理想と自意識と、みすぼらしくひとりぼっちの自分というこの耐えがたい落差を、ジュライは容赦なくあばいてさらけ出す。

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

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『彼方なる歌に耳を澄ませよ』アリステア・マクラウド

山々はわれらをわかち、茫漠たる海はわれらを隔てる――それでもなお血は強し、心はハイランド。 ――アリステア・マクラウド『彼方なる歌に耳を澄ませよ』

血は水よりも濃い

スコットランド人に会ったら、まず言われること。イングランドとスコットランドを絶対に言いまちがえてはいけない。料理がまずいのはイングランドであって、スコットランドを一緒にしないでほしい。ハギスとウィスキーとバグパイプは最高だ。そして、イングランドとスコットランドを絶対に言いまちがえてはいけない。

日本人にとって「英国」という国はロンドンやイングランドのイメージとつながりがちだが、ブリテン島の北半分はスコットランドが占めている。スコットランドは英国連邦内にとどまりながらほぼ独立国家であり*1、そのアイデンティティと誇り高さは上記の言葉にも現れている。

海を数千キロも隔てたカナダのケープ・ブレトン島に住むアリステア・マクラウドの祖先は、こういう土地から来た人々だった。6代たってもなお、彼らはゲール語で話し、ゲール語の歌を歌い、バグパイプのCDを鳴らし、フィドルを弾きウィスキーをかっくらいながら踊る。それでもなお血は強し、心はハイランド。これは、血と塩と氷でできた一族の物語である。

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)

*1:2014年は独立投票で世界中の注目を集めた。

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50人が選んだ、2500円以下のオススメ海外文学。「はじめての海外文学」フェア

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「はじめての海外文学」フェアが、全国14書店で1月26日頃(給料日直後の月曜日、覚えやすいですね)からじわじわ始まるようですよ。

どんなフェア?

「海外文学にほんのり興味はあるけど、正直どれから始めてみたらいいのか分からない」という人のために、海外文学ファン(翻訳者、書店員、出版社の中の人、編集者など)50人がそれぞれ「初めて海外文学を読むならぴったりだと思う1冊」を選び、わっふるわっふるなコメントをつけてオススメするフェア。

正式名称は「50人に聞きました!老いも若きもまずはこの1冊から はじめての海外文学」フェア。ハッシュタグは #はじめての海外文学フェア
発起人は丸善 津田沼店の書店員、酒井七海さん(@onakaitaichan)。フェアが始まった経緯はこちら。

どんな本があるの?

  • 50人の選書人が選んだ1冊=合計50冊(わたしも1冊、選んでいます)
  • 値段は最高2500円。企画者による、お財布に優しい設計。
  • ハードカバーと文庫、両方を取り揃え。
  • 50冊すべてに、選書人によるコメントつき。
  • フェア開催書店で、限定の小冊子を配布。


 

開催書店リスト

東京都、神奈川県、千葉県、福島県、愛知県、大阪府、福岡県の14書店で開催。一部の書店ではすでに始まっている。まだ確定していない店舗もあるらしい(まだ増える可能性あり)。

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『HHhH プラハ、1942年』ローラン・ビネ

 いったい何を根拠に、ある人物が、ある物語の主役であると判断するのだろうか? その人物に費やされたページ数によって? ——ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』

自分語りとアンチ歴史スパイ小説

 「事実かどうかを1次情報まで戻って確認せよ、重要なことから書け、つねに自分とすべてを疑え、客観性を忘れるな」。書く者としての心構えを、ボスや教授からくりかえしくりかえし聞かされてきた。

 だが、客観的に書くとはなんだろうか? それは人類に可能なのか?

 フランスの若く野心的な小説家は、この問いについての物語で答えようとした。ラインハルト・ハイドリヒ——第三帝国でもっとも危険な男、プラハの死刑執行人、虐殺者、金髪の野獣、山羊、ユダヤ人ジーズ、鉄の心臓を持つ男、地獄の業火が想像した最悪のもの、女の子宮から生まれたもっとも残虐な男、<HHhH>——Himmlers Hirn heibt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)という通り名を持つ男。

HHhH (プラハ、1942年)

HHhH (プラハ、1942年)

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『別荘』ホセ・ドノソ|分厚いベールをかける黄金の白痴

 「私たちはベントゥーラ一族なのよ、ウェンセスラオ、唯一確かなのは外見だけ、よく覚えておきなさい」——ホセ・ドノソ『別荘』

分厚いベールをかける黄金の白痴

 ドノソはわたしにとって「液体作家」である。読んだ後になぜか液体じみた印象が離れない。きちがい冥府小説『夜のみだらな鳥』は、どろどろの黒いタールの上に、蛍光色の砂糖菓子人形をぶちまけたような印象。『別荘』は赤緑黄のペンキ缶を壁に投げつけ、金銀の粉をふりかけて血みどろメレンゲをあしらった印象だ。

 端的にいえば、いかれている。頭のおかしい人々がロココにほほえみながら舞踏会を踊り、わたしたち読者に「あなたも踊りましょう?」と優雅に指を絡めてくるような作品をドノソは描く。圧倒的な理性の敗北、幼児退化のばぶばぶ、無知蒙昧のグロテスク、なのにそれでも西洋絵画のように美しいのだからやっていられない。

別荘 (ロス・クラシコス)

別荘 (ロス・クラシコス)

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なぜ世界文学は売れないのか? もうすぐ絶滅するという海外文学について

世界文学が読まれない、売れない、翻訳できない

 『絶望名人カフカの人生論』の著者、頭木弘樹さん(@kafka_kashiragi)が「海外文学の翻訳が売れないから、翻訳できなくなってきている」というつぶやきが3000RTを超えた。
https://twitter.com/kafka_kashiragi/status/534536316197679104:title#怖ろしい話を聞いた…。海外文学の翻訳は、初版1500部とか、初版印税ナシが普通になってきているという。増刷はなかなかされないだろうから、初版印税ナシだと、実質、無報酬に。初版1500部でも、生活はとてもできない。これでは翻訳をする人はいなくなってしまう。したくても生活できない。

 「印税と翻訳料の違い」(わたしの周囲は若手が多いためか無報酬の話が多く、あっても微々たるものだろうが)や「業界全体の話なのかどうか」「そもそも本当の話なのか」など考えることはあるが、なにがすごいかといえば、このつぶやきが3000RTを超えたということである。

 3000といえばおなじみのフレーズ「海外文学のコア読者は3000人」の3000だ。3000人のうち全員がTwitterをやっているはずはない(特に文学おじさんはやらなさそう)から、わたしの周囲以外でこのつぶやきが拡散されたということは、コア読者以外がなんとなく興味を持ってRTしたと仮定してよさそうだ。

海外文学が消滅する!? - Togetter
※「海外文学の翻訳」関連のつぶやきは6ツイートある。

海外文学にほんのり興味がある人はそれなりにいる

 くしくも昨日「ガイブン初心者にオススメする海外文学・文庫編」という記事を書いたところ、2000PV・70ブクマ超えを記録した。この記事を書いていて思った、そしてブクマのコメントなどを読んで感じたのは「海外文学に興味がほんのりある人は意外にいるんじゃないの?」ということだ。ためしに書いてみたら、やっぱりそれなりにいる気がする。
ガイブン初心者にオススメする海外文学・文庫編 - ボヘミアの海岸線

 そもそもこの記事は、「リクエストをもらったらそれっぽい海外文学を1冊オススメする」企画を開催したとき、リクエストをくれた人たちのうち半数ぐらいが「ふだんはあまり海外文学を読まない人」だったために書いた。わたしのTwitterアカウントはほぼ海外文学ネタと2.5次元の幻覚しかたれ流していないにもかかわらず、なぜか2000フォロワー以上いて、ここ1年はとくにフォロワーの増えるスピードが加速している。

 また、ノルウェー・ブック・クラブがまとめた「世界最高の小説100」リストは2000近くのブックマークがついている。リストはブクマをかせぎやすく、だいたい「あとで読む」タグがついてあとで読まれないものだが、それにしてもこのブクマ数はわたしにとっては驚きだった。
サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ
 人々は「海外文学」を読みたいわけじゃない。「いい作品」「読んでよかったと思える作品」「最高の作品」を求めているのだ。物語に貪欲な人は、フォーマットは問わない(好き嫌いや相性はあるにせよ)。映画でも、アニメでも、ゲームでも、漫画でも、アマチュアがつくった動画でも、文学でも。残念なことに、文学はこの中ではもっとも敗北している。海外文学はもはや、表マーケットで経済活動を続けるか、アマチュアや海賊版翻訳に頼る裏マーケットになるか、という選択肢を突きつけられつつあるとすら思っている。

 本記事は「表マーケットでの経済活動」にポイントをしぼって話を進める。つまり問いはシンプルだ。「なぜ海外文学は売れないのか?」「なぜ海外文学を買わないのか?」

 なお、わたしは仕事上では文学にまったく縁がない分野に生息しているため、これはあくまで外部から見たうえでの話である(ただコンテンツ畑なので、コンテンツのシェア獲得とマーケティング、課金は永遠のテーマだ)。ガイブン業界の慣習やしがらみは抜きにして、話を進めることをご了承いただきたい。

なぜ海外文学は売れないのか?


 なぜ海外文学は売れないのか? 答えは単純で「既存マーケットでは経済活動を維持するのに十分ではない」、つまり「新規マーケットをじゅうぶんに獲得できていない」からだ。

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ガイブン初心者にオススメする海外文学・文庫編

秋の夜長に「読みたい本の雰囲気を伝えてもらったら、それっぽい海外文学をおススメする」企画をTwitterでやってみた。
「あまり海外小説を読まないけれど興味はある」人たちからのリクエスト、「こういう雰囲気の本を求めている人がいる」という発見があって、とても楽しかった。


というわけで、海外文学/世界文学にほんのり興味があるけれど、あまり読んだことがない人たちに紹介できる「オススメの海外文学・文庫編」をつくってみた。ちょっとでも興味がある人たちがもっと増えてくれればうれしいし、出版社だって売り上げがあがれば良い作品をもりもり出してくれるにちがいない。ノーモア絶版。『夜みだ』はまだですか。


今回のリストは「早い・安い・うまい」で選んだ。

  • すぐに手に入る、絶版でない
  • 文庫本で安い
  • 訳がわりと新しい、読みやすい
  • 長すぎない
  • 本ブログで☆405をつけた、わたしが好きな本


 

(たぶん)世界一かっこいい家の崩壊

黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集? ゴシック編 (新潮文庫)

黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集? ゴシック編 (新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫 ポー短編集? ミステリ編 (新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫 ポー短編集? ミステリ編 (新潮文庫)

アメリカ文学。世界初のミステリと言われる「モルグ街の殺人」は「そのオチかよ!!」とつっこむところまでがお楽しみ。ぞくぞくする映像美でいえばダントツで「アッシャー家の崩壊」。ラストですばらしい崩壊ぶりとカタストロフィを味わえる。もはや意味がわかんないけどすっごく格好いい。表紙まんまの世界観なので、表紙が好きなら買って間違いない。

  • ストーリー性:☆☆☆☆ 日本語の読みやすさ:☆☆☆ 明るさ:☆☆ ゴシック度:☆☆☆☆☆
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『ザ・ロード』コーマック・マッカーシー|命の火を運ぶ

 この物語の結末をおれにいわないでくれ。 ——コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』

命の火を運ぶ

 人類絶滅まであと少し。未来は来ない。

 黒こげた死体の薪に命の火をくべて、血と夜の雫でできた宝石を、頭蓋骨の鍋で煮たような小説だ。なぜ、これほど極限まで振り切れた人間のおぞましさと美しさ、腐臭と愛が、ひとつの世界に存在できるのだろう。

ザ・ロード

ザ・ロード

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

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『火葬人』ラジスラフ・フクス |ホロコーストという"慈善"

 「あいつはどうかしている。いつもこうなんだ。大虐殺の現場に連れていかれるとでも思っているんだ……」 ——ラジスラフ・フクス『火葬人』

ホロコーストという“慈善”

 心電図が停止しながらも生きている人間は、じつはけっこういるのかもしれない。心臓は動いているし、呼吸も排泄もするし、仕事や社交だってお手のものだが、心がまったいら。好き嫌いといった心のでこぼこを持ち合わせていないから、どんな枠組みにでもスライムのようにするりとはまってみせる。だからおうおうにして彼らは、きわめて常識があって模範的な人間であることが多い。

 普通であることを誇りにし、それを他者にも求める人間には気をつけるがいい。実在可能な哲学的ゾンビは模範的で、社会が求める“普通”で“善良”な人間の顔をしている。

 「この世界には、平和、正義、そして幸せがないとね」

火葬人 (東欧の想像力)

火葬人 (東欧の想像力)

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