ボヘミアの海岸線

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『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック|町と自分と彼女の区別がつかない

 彼女は彼にとって、生きうつしの、明確な姿をした思い出だった。 ——ジョルジュ・ローデンバック『死都ブリュージュ』

町と自分と彼女の区別がつかない

 ベルギーの画家フェルナン・クノップフによる『見捨てられた町』*1を見たとき、なんて幻想文学の表紙にうってつけの絵だろうと思った。水際は建物にまで侵食し、すでにこの町は空っぽである。時計の針はとまっている。鳥のはばたきひとつ、風のうなりさえ聞こえない。

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 この見捨てられた町にはモデルがある。ベルギーでかつて栄えた海運都市、ブリュージュ。13世紀ごろには海運のためにヴェネツィアなみの財力と人口を誇ったが、15世紀ごろに廃れて衰退した。さて現在、世界にはふたつのブリュージュがある。ひとつは、衰退から復活し、明るい観光都市となったブリュージュ。もうひとつは、衰退の幻影を引き延ばし続けた架空のブリュージュ。画家が描いたのは後者、ローデンバックが構築した小説世界が編んだ幻影の町だった。画家は現地にはいっさい足を向けず、幼少の記憶と『死都ブリュージュ』から想起するイメージだけをたよりに、存在するが存在しない、幻影の町を描いた。

死都ブリュージュ (岩波文庫)

死都ブリュージュ (岩波文庫)

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『崩れゆく絆』チヌア・アチェベ

「白人ときたら、まったくずる賢いやつらだよ。宗教をひっさげて、静かに、平和的にやって来た。われわれはあのまぬけっぷりを見ておもしろがり、ここにいるのを許可してやった。しかしいまじゃ、同胞をかっさらわれ、もはやひとつに結束できない。白人はわれわれを固く結びつけていたものにナイフを入れ、一族はばらばらになってしまった」——チヌア・アチェベ『崩れゆく絆』

弱さを認めぬ弱さ

 支柱が折れて瓦解する教会のまんなかで、降りそそぐ瓦礫の雨を2本の腕で支えようとした男がいた。

 時は19世紀、植民地支配前夜のナイジェリア。オコンクウォは、架空のアフリカ部族社会“ウムオフィア”(アチェベの出身地ナイジェリアの最大部族、イボ族の習慣をもとにしている)で最強の戦士として認められていた。稼ぐことも戦うこともできず、音楽を愛して借金まみれで死んだ父のようになることを病的に恐れ、父が愛したもの、音楽や感情、優しさを、軟弱で女々しいものとして、ことごとく憎んだ。

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

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『ギリシア神話を知っていますか』阿刀田高

誰もかれもが踊り狂う、情念の神々

 ギリシア神話はファム・ファタルのようだと思う。いちど読み始めるとその深さにはまり、砂時計に入ったように抜け出せない。次から次へと知りたい物語が増え、この神はどの神と浮気をしたのか、親子関係はどうなっているのかが気になって家系図をたどり、神々の理不尽さと激情にうめき翻弄されながらも目を離せない。2009年以来ぱったりと途絶えていたギリシア熱が、この春みごとにルネサンスして、つくづくその底知れぬ引力に驚嘆する。

 ギリシア神話のうちで著名な、かつ理不尽な、情念と欲望が渦巻く物語を12編おさめる。おもしろいことに、各エッセイのタイトルとなった登場人物は、エロスとオイディプスを除いてはすべて女性である。ギリシア神話では、女性たちは神々の情念の的となり、望む望まないにかかわらず、嫉妬と性欲、恨みと殺意のるつぼの中に放り込まれる。だからその人生はより悲劇性を帯び、作家の心をつかむのかもしれない。とまれ、女性たちの話ばかりではなく、恋人となる神々や英雄の話もきちんと出てくるので、ギリシア神話の著名なエピソードをひととおり網羅している。作家らしく、ギリシア神話の影響を受けた小説や劇、映画などをまじえて紹介されているのもよい。

ギリシア神話を知っていますか (新潮文庫)

ギリシア神話を知っていますか (新潮文庫)

ギリシア神話を知っていますか

ギリシア神話を知っていますか

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『河岸忘日抄』堀江敏幸

遭難の作法

 ふと、彼は思う。自分は、まだ待機していたい。待っていたい。だが、なにを待つのか?——堀江敏幸『河岸忘日抄』


 霧の深い夜には、たいそう派手な失恋をしてなんの知らせもよこさずに遠い異国へふつりと消えた、気狂いの友人を思い出す。失踪した理由をのちに尋ねてみれば、「誰にも知られずに、ひとりで本を読みたかった」。なんだあの阿呆はと思いつつ、似たりよったりのことをしているのはわたしだった。

 知人と記憶を持たぬ土地でもう数か月、呆然とし続けている。この数年ずっと「これは本物だ」と思っていたものを失い、積み上げてきたトランプの塔は崩れ落ち、真っ白な原稿の瓦礫となった。こうなる予感はすでにあったのか、すでに手に入れていた切符を手に、背負えるだけの手荷物を持ってここへ来た。どうして僕はこんなところに。あらゆる面倒な手続きをこなし、万難を排してこの地に臨みながら、いまなおこの問いへの答えが見つからない。

 おそらく世の中には、SOSも発さずに、異国や図書館で難破したくなる時期、あるいはそういう種類の人間がいる。友人やわたし、そして「彼」のように。

河岸忘日抄 (新潮文庫)

河岸忘日抄 (新潮文庫)

河岸忘日抄

河岸忘日抄

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『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』カート・ヴォネガット

いったいぜんたい、人間はなんのためにいるんだろう? カート・ヴォネガット『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』

絶望からくる博愛

 人は誰もが、小さな器を心に抱えてうまれてくる。うまれてまもなく、彼らをこの世に送り出した男女が水をそそぎ始める。この小さな器はその大きさに見合わず水をどんどん飲み干し、いっこうに満ちる気配がない。育つにつれて友人や兄弟、恋人など、水を注ぐ人は増えていく。底なしかと思われた器には水がたまっていき、やがてあふれる。そしてようやく乾きから解放されたその人は、周りの人の器をのぞき、それらの器に水を注ぐことを考えはじめる。

 人は、愛や優しさをじゅうぶんに受けなければ、他者にそれを与えることは難しい生き物ではないかと思う。もっとも影響を与えるのは、最初に無条件の愛と優しさをそそぐ親だ。しかし、家庭の環境に恵まれなかった人や、傷つきやすく繊細な人の器の底には穴があいていて、彼らは善良な人々からの優しさや愛をむさぼり食い、ときには腹いせに踏みにじりながら、器を満たそうとする。

ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)

ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)

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『宝島』ロバート・ルイス・スティーブンスン

死人箱島に流れついたは十五人

ヨー、ホッ、ホー、酒はラムがただ一本

——ロバート・ルイス・スティーブンスン『宝島』 

だめな海商紳士

 なんという語りの魅力だろう。<ベンボウ提督亭>、<遠眼鏡亭>、片足の老海賊、秘密の地図、宝島の蛮人、仕事人の鑑のような船長、八銀貨と叫ぶオウム、なにもかもが彩り鮮やかにいとおしい。幼いころから病弱で、北の荒地を離れて世界を転々としたスティーブンスンは、最後の居住地サモア諸島では現地の人々から「語り部」と呼ばれていた。なるほど、彼の作品はどれも人に語り聞かせたくなるが、『宝島』は、含蓄もうんちくもなく、それでいて文句なしに楽しいという、奇妙な引力がある。

宝島 (光文社古典新訳文庫)

宝島 (光文社古典新訳文庫)

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『ジーキル博士とハイド氏』ロバート・ルイス・スティーブンスン

 彼らの言うことは一致していた。それは、その逃亡者が彼を目撃した人たちに言うに言われぬ不具という妙に深い印象を与えたということだった。——ロバート・ルイス・スティーブンスン『ジーキル博士とハイド氏』

身勝手であることの醜悪さ

 あまりにも有名なこの物語を読むことを先送りにしていた。ようやっと『ジーキル博士とハイド氏』を手に取ったのは、彼がうまれた土地を訪れたからだった。そこは血と雨を吸って黒く染まった石畳と石造りの建物がうねる古都で、小さな霧が出れば風が、風がやめば霧が立ちこめ、町の外には中世と変わらぬ荒野が広がっていた。薄暗く頬をなでる霧のなかを徘徊していると、なにかを見失いがちになる。みずからを失った哀れな男の物語はここでうまれたのかと、奇妙に腑に落ちた。

ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)

ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)

  • 作者:スティーヴンソン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/03/02
  • メディア: ペーパーバック

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Patience (After Sebald)、あるいはW.G.ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』


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 2001年、W.G.ゼーバルトは車を運転しているさなかに心筋梗塞をおこし、イングランド東部の道路で気を失ったまま横転した。57歳だった。抑制した筆致で、アクセルを踏むこともブレーキを踏むこともなく、記憶と記録を地すべりし続けた作家が、加速する残像の中で死んだのは、どうも似つかわしくないように思える。しかし、20世紀が終わってまもなく眩暈のように死へと足を踏み入れたのは、ある意味ではゼーバルトらしかったのではないか。


 『土星の環 イギリス行脚』でゼーバルトが歩いたイングランドの風景を丹念に追い、彼にまつわる証言や記録をおさめた映像 "Patience (After Sebald)" は、どこまでも白と黒のコントラストに沈んでおり、21世紀の光景だとはとうてい思えない。

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『ケルトの神話』井村君江

「あなた方ケルト民族が、もっとも恐れるものは何でしょうか?」
巨大なたくましい体をした、ケルトの戦士たちはこう答えました。
「わたしたちは、どんな人間も恐れません。ただわたしたちが恐れるのは、空がわたしたちの上に落ちて来ないか、ということだけです」

——井村君江『ケルトの神話』

渦巻く世界

ケルト文化において、もっとも尊敬される職業は詩人だった*1

 ケルトの民は、文字による記録をほとんど残さなかった。英雄たちの物語や王の系譜、法や教義は詩人たちが暗誦した。詩人は図書館であり、碑文であり、立法であり、修行には10年以上を要したという。詩人の機嫌を損ねては自分の物語を伝えられず、それは歴史における存在の死を意味していたため、王はときにその首を望まれるがままに差し出したと言われている。

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)

*1:『ガリア戦記』では、ケルト人はドルイド僧、戦士、一般人(奴隷)の階層に分かれていたと書いてあるが、本書ではドルイド僧が法、政治、詩人へ分裂していったと書いている。

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『ヘンリー五世』ウィリアム・シェイクスピア

王の責任か! ああ、イギリス兵一同のいのちも、
魂も、借金も、夫の身を案じる妻も、こどもも、
それまでに犯した罪も、すべて王の責任にするがいい!
おれはなにもかも背負わねばならぬ。

——『ヘンリー五世』ウィリアム・シェイクスピア

王冠を戴く人柱

 この世をつつがなく生きるには、正気の計測器を意図的あるいは無意識に鈍らせることが必要で、計測器の精度が高い人、狂わせるには誠実である人が、いつだって人柱になるようにできている。正気で誠実であるほど、世界の矛盾と不条理を目の当たりにして気が狂う。だが、正気を手放したくとも、手放せない立場の人がいる。最も公正明大で誉れ高い、王冠を戴く人柱の物語。

ヘンリー五世 (白水Uブックス (19))

ヘンリー五世 (白水Uブックス (19))

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『北欧神話と伝説』ヴィルヘルム・グレンベック

 いまやスルトはただひとり戦場に立っている。彼は炬火を大地の上に投げ、こうして全世界は火炎に包まれて燃え上がるのである。——ヴィルヘルム・グレンベック『北欧神話と伝説』

血まみれの世界よ

 世界の中央には巨大な空隙があって、その北には氷に閉ざされた永遠の世界、南には灼熱に燃える果ての世界がある。その衝突から、さらにいくつもの世界がうまれ落ちる。これらの世界は遠く隔たっているが、巨大な世界樹の根によってつながれている。

 真空を漂流する原子模型船のような世界では、神々と巨人、人間が入り乱れ、血で血を洗い続けている。氷柱からしたたる滴のように、人が死ぬ。戦士はそれを栄誉ととらえ、無駄な生など長引かせまいと死んでいく。そして人と同じように神々もまた死に絶え、世界は炎に包まれて沈み、その終末をむかえる。

 ラグナロク、神々の黄昏により衝撃の終末をむかえる北欧神話は、いまなお西欧の文化にこんこんと息づいている。

北欧神話と伝説 (講談社学術文庫)

北欧神話と伝説 (講談社学術文庫)

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『ヘンリー四世』ウィリアム・シェイクスピア

 名誉ってなんだ? ことばだ。その名誉ってことばになにがある? その名誉ってやつに? 空気だ。結構な損得勘定じゃないか!

——ウィリアム・シェイクスピア『ヘンリー四世』

ごろつき紳士の饗宴

 燃えよ退廃の燈火、愛すべき百貫でぶ、王子ハリーつきの食用豚、騎士フォールスタッフとハル王子たちの掛け合いのなんと楽しいことか!


 『ヘンリー四世』は、シェイクスピア歴史劇のうち『リチャード三世』と並んで人気の劇だと言われている。古今東西もっとも、当のヘンリー四世は、それほど印象に残らない。心をとらえて離さないのは、ヘンリー四世の後継者、のちのヘンリー五世となるハル王子と、騎士フォールスタッフと愉快なごろつきどもたちだ。

ヘンリー四世 第1部

ヘンリー四世 第1部

ヘンリー四世 第二部 (白水Uブックス (16))

ヘンリー四世 第二部 (白水Uブックス (16))

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『クララからの手紙』トーベ・ヤンソン

 成績表なんて気にしないこと。パパとママに言いなさい。両の手を使って美しいものを造るというのは、場合によってははるかに大切な能力なのだと。——トーベ・ヤンソン『クララからの手紙』

気難しくも優し

 他者のために己の心を殺すことは、優しさではない。優しくありたいという願いは嫌われたくないの裏返しで、たとえそれが愛ゆえの、悲哀さえ帯びた切実な願いであったとしても、自分が殺した言葉と感情は砕けた硝子のように足裏を刺し、やがては受けた傷への対価を期待する。あなたのためにがんばった、あなたのためにがまんした、あなたによかれと思って、なのにどうして。言えなかった言葉は心に沼をつくり、その水は時が経つほど澱み、やがて水底に怪物をはらむ。

 トーベ・ヤンソンの作品に出てくる人びとは、沼の怪物とは無縁の人びとだ。彼らは気難しく、ささいなことで気分が変わり、文句でもなんでも言いたいことは遠慮なく言い、自分の心を隠さない。

 それがふしぎと心地よい。彼らは彼らなりに家族や友人を大事に思い、同じだけ自分の心を大事にしている。自分にも他者にも寛容なのだ。だからわたしは、この気ままで身勝手な人たちの物語を読み続けたくなる。

トーベ・ヤンソン・コレクション 3 クララからの手紙

トーベ・ヤンソン・コレクション 3 クララからの手紙

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『恋の骨折り損』ウィリアム・シェイクスピア

姫! どうか戦闘準備を!
ご婦人がたも武装なさい! 敵襲です、平和の夢を
むさぼってはおられません。恋が変装してやってきます。

——ウィリアム・シェイクスピア『恋の骨折り損』

誓いよりやっぱり恋

 恋の前には、どんな誓いも論理も通用しない。王様も貴族も、みなが美しい女と恋の前に身を投げ出す。たとえ、それまでの努力が骨折り損になろうとも。

 3組のカップルによる、ひとめぼれの喜劇である。ナヴァール王国の国王と、彼の親友である3人の貴族は、学問に専念するために3年間は女に会わず、近づけもしないという誓いを立てる。

恋の骨折り損 (白水Uブックス (9))

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『ヴェローナの二紳士』ウィリアム・シェイクスピア

プローテュース ああ、恋の春は変わりやすい四月の空に似ている、
いま、燦々と美しく輝く太陽を 見せているかと思うと、
たちまち一片の雲が現れてすべてを掻き消してしまう。

——ウィリアム・シェイクスピア『ヴェローナの二紳士』

恋か友情か

 シェイクスピアが初期に書いた、恋の名言多き恋愛喜劇である。

 この劇では、たえず「恋か友情か」という問いが繰り返される。ヴェローナに住むふたりの青年ヴァレンタインとプローテュースは、友情を誓い合った親友同士だ。ヴァレンタインが見識を広めるために、ミラノ公爵のもとへと旅に出ようとする。ヴァレンタインは一緒に旅しようと誘うが、プローテュースは愛するジュリアのためにヴェローナに残るという。たとえ距離が離れても、親友であることには変わりないと互いへの友情を誓い合って、ふたりは別れる。

 プローテュースはジュリアという恋人を得て幸せに過ごしていた。しかし、ヴァレンタインに会いに行ったとき、彼の恋人であるシルヴィアに激しく恋してしまう。

 親友への友情、地元に残してきた恋人への誓い、友人の恋人への恋情、どれかを選べばどれかを捨てなければならない。距離と時間では、男たちの友情はくずれなかった。しかし、愛によって、それはトランプの家のようにいとも簡単に崩れ落ちた。

ヴェローナの二紳士 (白水Uブックス (8))

ヴェローナの二紳士 (白水Uブックス (8))

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